第11章 徒桜
咽返るような重く濁った空気が部屋を包んでいる。
「痛いよ、慊人」
痛みに耐える声は荒れた床に落ち、聞き入れられることなく染みこんでいった。
手を繋ぐ白い指先は、その爪が皮膚に食い込むほどに握られていた。
無くなってしまった鎖の代わりとでも言うかのように、キツく力を込められている。
ぐちゃぐちゃに皺を作った布団の前で慊人が立ち止まる。食い込んだ爪はそのままだ。
以前抱いていたような恐れはない。これは多分、物の怪憑きではなくなったから。
ひまりよりも背丈の高い筈の背中が、不思議と小さく見える。
「僕達の絆は永遠だよね。今は少し離れてしまっているだけで、みんな最後には僕の元へと帰ってくるんだよね」
低く、ざらついた声だった。肯定以外を受け入れないような声。
ひまりは一度睫毛を伏せ、小さな背に視線を戻す。
本当に小さな背中。暗闇で膝を抱えて縮こまっているように小さく儚い。……あぁ、そうか。
「……違うよ」
時計の針が、呼吸が、全ての空気が止まったかのような緊張感が慊人から醸し出される。
見えない表情。だが、どんな表情をしているかなど手に取るように分かった。
更に皮膚に食い込む爪に下瞼を歪ませながら、振り返った慊人の顔を見つめる。
定まらない視線で、見開かれた真っ黒の双眼には憎悪が滲んでいた。
「何が違うの。ねぇ、何が違うって言うんだよ。全部お前のせいだろ。お前さえ居なきゃ壊れることは無かったんだ。僕達の絆が壊れていくことなんてなかったんだよ」
以前までは恐怖で動けなくなっていた、地を這うような声。
ひまりの瞳が恐怖感に塗りつぶされなかったことが癪に障ったのか、色素の薄い茶の髪を引っ掴んで顔を寄せた。
「ねぇ欠陥品。お前、責任とれよ。ねぇ、責任とれよ。みんなを僕の元に戻せよ。返せよ。お前、お前さえいなきゃ戻ってくるんだ」
慊人の両手がひまりの頬を包み、その双眼の目頭に親指の爪を突き立てる。
それでもひまりは慊人から視線を逸らさなかった。ただジッと無機質な瞳でその姿を映し続けていた。
「もうなんとなく気付いてるんでしょう。永遠なんて無いって」
ひまりの声は静かなそれだった。
慊人の喉がひゅっと鳴る。突き立てていた親指を離し頭を抱え、引き千切る勢いで自身の髪を掴んでいた。