第10章 声に出さないまま
「お前なんかいつもと違ぇくね?」
これほど長い時間、夾の瞳に由希が映し出されていることは珍しい。逸らさず、確かめるように映し続けている。
それほど"由希に対して"違和感を感じていたのだった。
ぞわり。由希は背筋に這った何かから逃れるように、肩を竦める。「何かって、何がだよ」わざと揶揄するように問う。浸食してくる不安感は、ただの勘違いだと思いたかった。
由希の態度に、急に興味を失くしたかのように「……まぁ、どうでもいいけど」と、ぶっきらぼうに答え、由希とひまりの横をすり抜ける。
夾を追いかけようと、足を踏み出すひまりの腕を掴み引き寄せた。
背を向けた夾が、石段に足をかけた所だった。
抱き込む瞬間に緊張感が走る。癖の物だ。産まれてから今まで、異性を抱き締めることは疎か、ぶつからないように細心の注意を払って生きてきた。
染みついたそれが、たった数時間如きで慣れる訳がない。
ひまりも同じだったようで、抱き締めた彼女の体が強張って堅く縮こまり、体に変化が起きないことを確認してから力が抜ける。
「ちょっと由希、どういう」
「解けたんだよ、俺達」
抗議の声をあげようとするひまりを無視して、少し高い位置にいる夾に向けてそう言った。
ピタリと足を止める。三段目まで登った所だった。
言葉の意味を理解していなかったようで、振り返った夾は、ひまりを抱き締める由希を見て、睥睨し、踏み出そうとした足が硬直したように動きを止める。
代わりに石段を下りてきたのは、彼の肩に掛けられていた鞄だった。
トン、トン、くしゃり
地に落ちた鞄が、瞠目した持ち主を見つめる。
「解け、たって……」
骨張った手が口元を覆い、瞠る瞳が揺れる。理解して、震える声で聴いた。「解けたのか、ひまり」と、由希から離れた彼女に確認するように問う。
ひまりは落ちた鞄を拾い、いつも彼を見上げるよりも更に目線を上げ、複雑そうに微笑んで鞄を差し出す。
目の前の相手が解けていない以上、喜ばしいことだとは思えなかった。
「なんか、急に、解けちゃった……みたい」
夾は太い息から力が抜けたように石段に座りこみ、組んだ手で前のめりになる額を支える。
困惑する少女は、受け取って貰えなかった鞄を胸の前で抱き、座った夾に合わせるようにしゃがみこんだ。