第10章 声に出さないまま
言われたからには放っておく訳にはいかないしなぁ。ひまりは晩御飯の支度を始めたかったが、今日は鍋。具材を切るだけだ。
優先順位を考えた結果、二人を見届けることにして縁側で腰を下ろす。
終わったら、夾に鍋の準備手伝ってもらおーっと。等と悠長なことを考えていた。
なんせひまりは二人がやり合う姿を見たことが無い。
幼い頃は、お互いは認識しているものの毛嫌いしていて関わりを持たない、というイメージだ。殴り合いの喧嘩はおろか、喋っている所を見たこともない。
草摩に戻って来てからも、険悪なムードは変わらないが、それでも手が出る事は無かった。
潑春から、前は毎日殴り合いの喧嘩してた。という情報を教えて貰った事があったが、それを疑う程に何も無かったのだ。
「お前は本気でかかってくりゃいいんだよっ」
怒声と共に、夾が地に足を踏み込んで迫る。陽と同じ色の髪がその勢いで、強い風を受けたときのように毛先が後ろへと流れる。
由希の頬に当たると思われた拳は、銀色の毛先に触れただけだ。
躱されたことに舌打ちをひとつ打ち、避けられた事で勢いがついたままの体を回し、捻る。
右足を軸にもう一度由希の顔目掛け、蹴り払うように左足を繰り出した。
身を屈めた由希は、登頂を掠めた足が過ぎてから身を起こす。
再度避けられたことに苛立った夾は、左足を地に付け、今度は右足で回し蹴りを繰り出そうとする。
焦りか、苛立ちか。その身のこなしは雑で、ひまりにも分かるほどの隙が生まれていた。
ブレた軸ではうまく力が乗らず、由希の手に軽く右足を流されてしまう。
そのまま背を向ける形になってしまった夾に、由希は斧を振るうかのように、その背に向かって足を蹴り下ろした。
背中に走る鋭い衝撃。それと同時に顔、胸、腹にも痛みが走る。
一瞬で、硬い地面に突っ伏していたのだった。口の中に鉄の味が広がり始める。
「言っただろ。無駄だって」
降ってきたのは、冷酷だが聡明でもある声。
鈍い痛みが継続する腹に咽ながら、体を起こす。
今回もやはり、慊人の言うとおりだった。
去っていく足音に咳き込みながら、ハハ、と乾いた笑いを吐いた。
去る音と入れ違いで近くなる、小走りの足音。
その足音の正体が分かっていたからこそ、顔を上げるのを躊躇した。
勝たねば救えない相手を、どうにも見上げる事が出来なかった。