第10章 声に出さないまま
「物壊したら罰金だからねー」
彼らの険悪なムードなど、どこ吹く風と言わんばかりに、紫呉は本を読み進め始める。本で陽を遮った紫呉の口元が暗く色を落としていた。
険悪な二人の顔も、半分影で覆われている。闇深くに根付く関係性を表しているかのように。
「お前とはやり合わない。時間の無駄だ」
「黙れクソ鼠。俺はお前に勝つ。勝たなきゃなんねぇんだよ」
「まだ十二支の一員になりたいだとか、馬鹿げたこと言ってるのか」
―――猫は鼠に勝てない。"そういう風"に出来てるんだよ。
これは変えられない事実。何なら勝負してみる?もしも鼠に勝てたら幽閉の運命から解き放ってやるよ。僕達の仲間に入れてあげる。
呆れた双眼を寄越す由希の言葉に、ニヤリと弧を描く慊人の顔が脳裏に浮かんだ。
どうだっていい。もう。
「……ちげぇよ。そんな事どうだっていいんだよ」
拳を握りしめ、歯噛みする夾の言葉に、由希は一瞬目を見張って眉根を寄せた。
紫呉も表情を変えずに、本に落としていた視線を夾に向ける。
「勝つ。絶対に、勝つ。お前に」
「意味がわからない。何の為にだよ」
理由を明確にしようとしない夾に、腕を組んで双眼を細める。風に靡いた橙の髪が顔の前で揺れて、彼の表情に更に影を落とした。
が、聞こえた声にハッと上げた顔が、髪色と同じ陽の色で照らされる。
「ただいまー。ってあれ。何かあったの?」
「ひまりおかえりー。今日の晩御飯なぁにー?」
はち切れんばかりに詰められた買い物袋をテーブルにドンと置いたひまりが、庭にいる由希と夾のただならぬ様子に首を傾ける。
「鍋。だいぶ温かくなってきたから、今日やらないともう出来ないかなーって。ってか、話逸らさないでよ」
問いかけた紫呉の返答から、事の重大さが垣間見えなかったことに安堵しつつもう一度問う。
まだ僅かに煙草の香りが残る彼の側に寄り、庭に立つ二人を見つめた。
「また夾君が由希君に勝負を挑んでる感じ?」
ひまりの帰宅を読書の区切りにしていたのか、閉じた本で二回、自身の肩を叩きながら立ち上がった。
また、なんで。二人を見つめたままのひまりに、さぁ。と興味なさげに手をひらひらと舞わせ、「何かヤバそうだったら呼んで―」と保護者としては無責任な気がする言葉を残して書斎へと姿を消した。