第10章 声に出さないまま
心臓が痛い。解放される事を望んでいたはずなのに、現実味を増すその事実に、身が引き裂かれそうだった。
感情の矛盾に戸惑う。
「ひまりの言いたい事はなんとなく分かるけど、譲れないから。ついていくよ」
凛とした表情で見据えるが、ひまりは一点を見つめたまま微動だにしなかった。
ひまり?怪訝な顔に変えた由希が彼女を覗き込む。
は、と吐息を吸い込んで、ようやっと目が合った。
「どうしたの?」
「え、あぁ、ごめん」
心ここに在らずという様子で立ち尽くしている。
悟ったのだ。由希の言葉に、その雰囲気に。永遠の絆なんて言われていた物が、いとも簡単に崩れていくのを。
それが何故か、酷く悲しい。
「由希、は」
「うん?」
「呪いが解けたら、どうするの?」
物悲しい瞳を由希に向ける。その意図が読めない。
どうするとは、将来の事だろうか。何故、憂いを帯びた目をしているのだろうか。
離れ離れになってしまうとか、十二支の関係性が壊れてしまうだとか、そういう物を不安に思っているのだろうか。
由希は、またはらりと落ちた色素の薄い茶を耳に掛けなおしてやる。
「十二支から解放される、されない、どっちにしたって、俺は草摩から離れて、遠くの大学に行こうと思ってるよ」
でも、遠くに行くからって俺らの繋がりが無くなる訳じゃないだろ。不安を取り除こうと語り掛ける由希に、ひまりは、瞳の色をそのままに僅かな微笑みだけで返した。
心の何処かで悟っていたんだ。
俺等は"そういう風"に出来ていて、『1+1=2』のように、答えが明確で。変えられない物なんだと、きっと最初から分かっていた。
「おいクソ鼠。勝負しろ」
「……なんだよ急に」
慊人との勝負を受け入れたのは、ただの意地だった。頭の片隅では慊人の言っていることが正解で、変わりようのない答えだと理解している。
意地だった。決まりきった答えに、俺自身の運命を委ねてたまるかと。抗って、打破してやると。
「夾くーん、由希くーん、物壊すのだけはやめてよ」
紫呉は縁側で本を片手に吐いた煙を揺蕩わせながら、庭に目を向けて肩を竦めた。
銀と橙。異なった色味を持つ髪を、生暖かくなった夕風が弄んでいる。
二つの伸びた影が向かい合い、ピリついた空気を放っていた。