第10章 声に出さないまま
道場で練習中、外に出て行くひまりの姿を見た。上着も羽織らずに、とぼとぼと外へ歩いていったのだ。
タイミング良く出た「休憩」の指示の後に、邦光に「ちょっと抜ける」と声を掛け、自身のジャケットを片手に追いかけた。
本当にひまりは、解放される為に十二支が用意した身代わりなのだろうか。
俄かには信じがたいが、紫呉は嘘を吐くような男ではない。
今までひまりに抱いてきた感情が全て、自身が助かりたいが為に成り立っていたというのなら、余りにも醜い。
愛おしいと。そう思う感情が、紛いだとでも言うのだろうか。
敷地内を出ると、道の向こうに視線を置いたままの紫呉が立っていた。
ひまり見てないか?と問う。多分家に帰ったよー。いつもの調子の良い声音。だが、その雰囲気が嫌に気持ち悪かった。
穏やかな表情なのに、珍しく気が立っているような、そんな雰囲気。
「アイツと、何か話したのか?」
「ん?今日寒いねーって話しただけだよ?」
胡散臭さを隠そうとしない紫呉に、眉根を寄せた。
あっそ。そう言ってひまりを追いかけようとして、呼び止められる。
「大事なら、目離しちゃ駄目だよ」
「は?何がだよ」
紫呉はそう言い残して返事もせず、歩みを進めた。後ろ手に手を振りながら。
本当に煙のように掴みどころがない。夾は一層眉根の皺を濃くしてひまりを追いかけていった。
「ひまりっ」
夾の声がした瞬間に強く吹いた風。
風の音で、その声の方向が分からずひまりは彼方此方に顔を向けていた。
その姿に、ふと笑みを零しつつ、彼女に近寄り低い頭の上にトンと拳を乗せる。
「あれ?夾、道場は?」
「抜けてきた。お前、上着も着ねぇで何してんだよ?」
あ、忘れてた。カラカラと笑う少女に頬が緩む。
彼女が笑うと、笑いかけてくれると、幸せだ。凡庸な表現だが、本当にそれなのだ。
空を仰ぐ。太陽を覆う雲が分厚く、体が気怠さを訴え始めた。雨が降るのか。
隣に立つ背の低い、淡い茶色が同じく空を見上げて首を傾けた。
どうしたの? 雨、降んぞ。そんなやりとりをしながら、手に持ったジャケットを肩に掛けてやる。
道着のまま飛び出してきた夾を気にするが、動いてたから寒くないと言葉を返すと、ありがとう。と微笑んで大きなそれに袖を通した。