第10章 声に出さないまま
「師範が教えてくれた。くれ兄本人から聞いたって。何の前触れもなく変身しなく…、出来なくなったって」
紅野は酉の物の怪憑き。まだ慊人が十二支を見下したり、咎めたりしていなかった頃。由希も慊人も幼い頃のことだ。
慊人と一緒に、雲一つない突き抜けるような真っ青な空を見上げた。
青の中を自由に飛び回る異色。酉になった紅野だった。
二人で笑いあって、凄いね、空を飛べるのっていいねって笑いあった記憶が蘇る。
だが思い返してみれば、慊人が壊れ始めた辺りから紅野の物の怪の姿を見ていない。
「俺。俺さ。それ聞いて思ったんだよね」
続ける潑春。由希は僅かに震える手で口元を覆っていた。
未だにまだ思考が追いついていなかった。
「俺、前みたいに、縛られてる感じ、無くなってきてた。慊人にどうしても抗えない、目に見えない枷で繋がれてるような。不安とか敬仰とかがグチャグチャに混ぜられた、漠然とした恐怖感」
それは物の怪憑きが、皆持って産まれた物。神に抗えない、潜在意識に刷り込まれた性質。
「俺、その感覚が無くなってくの、成長、したからだと思ってた。強くなったからだって。…でも多分違う。それだけじゃない。…薄れてきたから。絆が壊れかけてるから」
"既に絆が崩壊し始めている"など脳裏をかすりもしなかった。確かに由希自身にも、潑春が言うそれに思い当たる事がある。いや、ありすぎる。
「じゃぁ…俺らが何もしなくても…」
「師範の言う通りなら…解けんだろうね…勝手に。ある日突然…パッ、と」
潑春は閉じた拳を上に向けて、弾け咲いた花のように開く。
信じられない。由希の中に歓喜と疑心が入り混じる。いや、歓喜の感情の方が強かった。
話の出所が、不確かな事を軽々しく吹聴する人間ではなかったから。
だが解せない事がひとつ。この話が本当なら、何故潑春は苦悶の表情を浮かべているのだろうか。
由希は問いかけようと口を開いた所で吐息だけを漏らして閉じる。
夾のことか。察して考えることを辞めた。自分自身にも負の感情が産まれそうで。
「なぁ、それならリンも…解けてるんじゃないか?」
紅野が解けている。それなら依鈴も既に解けていたから、ひまりを抱き締めても変身しなかったと考えるのが現実的だ。
しかし潑春は首を横に振る。それは無い、と断定して。