第10章 声に出さないまま
師範…知ってんのかな…。
ボーッと玄関扉の擦りガラスを眺める。部屋の明かりが漏れているからこそ踏み止まっていた。
服で隠れた手のひらの、小さな温もりに視線を落とす。
呪いを解く方法を藉真に問うた時、チラリとひまりが出て行った方向に目を向けて僅かに目を細めたのを潑春は見逃さなかった。
ひまりの名を出していないのにそういう振る舞いをしたのは、此方の気持ちも不安に思っていることも理解して、だからこそ安心しろ、と微笑んだのだろう。
ま、いっか。別に師範にひまりが物の怪憑きだとバレた所で、周りに面白おかしく言うこともないだろうし。
相手が信用出来る人間だということもあり、潑春は深く考える事を辞めて扉に手を掛ける。と、消えた明かり。
もう寝るんだったら考える必要なかった。と就寝したであろう家主の邪魔にならぬように慎重に扉を開け、真っ暗な廊下を抜き足差し足忍び足と脳内で繰り返しながら、奥の客間へと向かった。
いつもは力強い木目が机上に浮かぶ座卓が部屋の真ん中に置かれているが、今は部屋の端にあるひまりの荷物の隣に移動させられていて、いつもの存在感を無くしていた。机が置かれていた場所には、その代わりに布団が一組敷かれている。
面倒見の良い藉真が、ひまり達が出て行った後に敷いたものだろう。
この様子だと、別部屋に潑春用の布団も用意されているに違いない。
手のひらで眠るひまりを敷布団にそっと寝かせてやるが、急に温もりが無くなり冷えた布団に置かれたひまりはキュゥと小さな悲鳴を上げて身を捩り始めた。
もう一度手に乗せてやると、温もりに安心したように寝息を立て始める。
「…どう、しよっか」
布団の横に胡座をかき、暗い部屋でハァとため息を吐く。
例えば一緒にここで寝たとして、寝返りを打った際に小さなひまりを潰してしまう可能性がある。
そして何より彼女が元の姿に戻った時が問題である。自身が想いを寄せる女の子が同じ布団で寝ているのだ。しかも裸で。
無理矢理手を出すなどクズ以下の人間であり、嫌悪感を抱く。
だが、思春期真っ只中の男子高校生である。己の欲を駆り立てる条件が整いすぎた状況であれば、自分自身を信用出来ない。
手のひらで丸くなる彼女の頭を親指で撫でながら、盛大にため息を吐いた。