第10章 声に出さないまま
小さくなった体に被さるスウェットやジャケットの重さに、身を捩らせながら這い出る。
まだ暖かさを残すそこから顔だけを出し、ぐるりと辺りを見回した。
周りに人はいない。ほっと胸を撫で下ろし、目の前でしゃがんで満足そうに口端を上げる潑春を睨みつけるため、首を後ろに倒し真上を向いた。
「はーつーはーるーーーっ!」
「よっ、初化け…」
「求めてない!!」
ゴワついた茶色の毛を逆立たせて、チーーっとネズミ独特の甲高い鳴き声を発しながら威嚇する。
ネズミは寒さに弱い。気温が十度以下になれば動けなくなると言われているほどだ。暖かい衣服を被っているとはいえ、氷のように冷えたコンクリートに小さな体は体温を奪われて行く。
ぶるりと身震いをするひまりを抱き上げようと差し出された手に噛み付いてやろうと、鼻の横から生えるヒゲを目一杯広げ、勢いよく前歯を突き立てる。だが、空振りだった。
悪びれた様子のない潑春を、小さな目を細めて睨みつけた。
とんだ年越しだ。間抜け面を撮られ、嫌いなネズミの姿にさせられた。
腹の虫がおさまらないひまりに、潑春はしゃがんだ膝に乗せた腕を組み首を傾けた。
「…楽しい?」
「ウシの目は節穴か」
「そう、良かった」
目を細め、ひまりに笑いかける。
それがまた腹立たしく、今度は足首に噛み付いてやろうと鼻の頭にシワを寄せて威嚇をしながら踏み出そうとした。
だが、どうやら体が冷えすぎたようで動くことが出来ない。
察したのか、察した訳じゃないのか。タイミングよく出された両手に身体を包み込まれ、そのまま抱き上げられる。
動かない体ではなす術もなく、不服ではあるが身を任すしかない。
潑春が立ち上がる浮遊間に、ヒヤッと肝が冷えたが暖かい彼の手は動かない体には有り難かった。
潑春は手の中の冷えた小さな体を、壊れ物を扱うように優しく包み胸に抱く。手よりも暖かいそこに、ほだされかけたところでブンブンと首を振って暴言のひとつでも吐いてやろうと見上げた顔に驚く。
口元は笑っていたが、目は苦痛に耐える時のものに見えた。
「こんなことしか、してやれないけど」
その言葉は体を温めてくれていることを言っているのか、また別の意味を持つのか。
ひまりには分からない。潑春はあまり多くを語らないから。