第10章 声に出さないまま
その速さは異常だ。ひまりはその光景に絶句し、キツく瞬きをした。
たった二口。潑春から目を離したのは蕎麦を二口食べただけの短い時間。スープにすら口を付けていない。
それなのに隣に座る潑春はベンチに少しだけスープを残したカップを置き、お行儀よく手を合わせてご馳走様でした。と僅かに頭を下げる。
「早すぎない?」
「ひまりが…遅い」
スマホの画面をひまりに向け、割るのに失敗して鋭利になった割り箸の先で表示されている時刻を指す。
五十七分だった。ゲッ、と顔の右半分にシワを寄せ残りの蕎麦をかき込む。
こんなに忙しない年越し蕎麦は初めてだ。
寒さで冷えた蕎麦は随分食べやすくなっており、ほぼ咀嚼なしで飲む勢いで平らげる。
最後にスープを少し飲み、バッと向けられたままのスマホ画面を見る。五十九分に変わった所だった。
何とか、年越しながら蕎麦を回避したひまりは急に襲ってきた満腹感にフーッと細い白を吐き出した。
おつかれー。と何処か茶化すように言う潑春は、無意識に左耳に手を添えていた。
「痛む?」
「ん?いや、痛くは無い…ちょっと痒い」
「…なら良かった」
眉をハの字にさせているひまりの小さな肩を、大きな肩でトンと押す。潑春は内カメラにしたスマホを向けて「今年最後の写真、撮ろ」と頬を寄せてスマホを持った腕を伸ばした。
近くの家から十秒前のカウントダウンをする声が聞こえる。
潑春の冷たい頬を感じながら、カウントダウンに急かされて写真撮影でお馴染みのピースサインを作った。
五、四…
「はい、ちーず」
「は?」
"ず"の瞬間に頬が離れたかと思えば、その部分に唇を寄せられていた。同時にカシャ、と画面が光る。
ひまりの頬から唇を離した潑春が、今撮った写真を確認してククッと喉を鳴らしていた。余りにもマヌケな顔でキスをされていたのだ。
ハッピーニューイヤー!おめでとう!!とまた何処からか騒ぐ声が聞こえる。
ひまりはピースサインのまま固まっており、寒さで硬直しているのか、驚きで硬直しているのかは分からないが、動かしにくい首を回し潑春に目を向ける。
「は?何やってんの?」
「…さぁ?去年の俺に、聞いて」
あけおめ。勝ち誇ったような顔で口端を上げている彼は、まるでオマケのように新年の挨拶を呟き立ち上がった。