第10章 声に出さないまま
——— いいよ。帰って…来なくても
涙を流して俺を抱きしめた母親は、「お母さん、ちょっと遠くに…行ってくるね」と猫に変身した俺の頭を撫でながら言った。
ガキだった。母親が帰って来なければ好きなようにテレビを見て、好きなように遊びにいけて。そんな目先の事しか考えてなかった。自分の事しか考えていなかった。
俺の言葉を聞いた母親は涙を溜めたまま穏やかに笑って出て行く。
本当に、帰って来なくなるだなんて思いもしなかった。
帰って来たらまた外との繋がりを遮断される生活に戻るんだ、と母親が姿を消してすぐに家を出た。
春ンとこでテレビを見て、ゲームをして楽しくて楽しくて自分が母親に放った残酷な言葉の事などすっかり忘れてしまっていた。
夕方、そろそろ戻らないと帰ってきてしまう、と家に戻ったが部屋の中は真っ暗なままであの人の姿は無くて。
それでも不安に思うこともなく、部屋の明かりをつけて帰りを待っていた。
外が段々と闇に覆われ始めてもあの人は帰って来なかった。
グゥ…と鳴るお腹。膝を抱えて、まだかまだかと帰りをただ待っていた。
「お腹空いた…お母さん、早く帰ってきて…」
バタンッと勢いよく開いた扉に嬉々とした表情で顔をあげたが、立っていたのは父親。いつもの汚い物を見るような目で、顔半分を歪ませた表情が怖かった。
「死んだ…母さんが死んだぞ…事故じゃない、自殺だ」
酷く冷静な物言いに、言っていることが理解出来ずに首を傾げる。
死んだ?自殺?母さん?
理解して全身が震え始めた。
「ちが…俺はそんなつもりで…言ったんじゃ」
「やっぱりお前が何か言ったんだな!?母さんはお前を愛していたのに!お前のせいで自殺したんだ!!お前が殺した!!」
「ちがう、俺のせいじゃない違う」
指を指して責め立てる父親の罵声に小さくなって耳を塞いだ。
俺が殺した。
「ちが…う。俺のせいじゃ」
「お前のせいだよ」
慊人は微笑んだまま人差し指で夾の鼻先を指している。
それがあの時の父親の姿と重なってビクッと肩を揺らした。
「だからね?僕はこれ以上夾に傷付いてほしくないんだよ。お前達は鼠と猫なんだ。それを、忘れちゃダメだよ?」
サラリと耳の横の髪を撫でた慊人は満足そうに笑う。
胃から迫り上がってきた物を吐き出さないように必死に唇を噛んでいた。