第10章 声に出さないまま
体が反射的に空吐きをした。
口元を手で覆う夾に慊人は心配等していないのに「大丈夫?」とまるで紙に書かれた文字を読んだだけかのような抑揚のない声をかけながらゆっくりと立ち上がる。
トポトポ、と机に置いてあった急須で湯飲みにお茶を入れる音に夾は顔を上げた。
はい、と差し出されたそれを受け取らずに突き返す。なのに慊人は口元に弧を描いたままだった。
「僕はね、夾の事もひまりの事も傷つけるつもりなんてないんだよ。ただ…そうだね、夾に傷付いて欲しくない…って言うのが正解かな?」
突き返された湯気を立てる湯飲みの縁を人差し指で遊ぶように撫でている。
なんだろうか。先程から慊人に感じる得体の知れない異常さは。
夾は上がる息を殺しながら片目を半眼にした。どういうことだ?と。
「ひまりは鼠のなり損ないだよ。人間にもなれない十二支にもなれなかった欠陥品なんだよ?」
「…ンなもん俺も一緒だろーが」
「ふふっ。君は"ちゃんと猫"として産まれたじゃない。ねぇ、なり損ないは意地汚いよ?"猫"のお前だから僕は警告してあげてるんだよ」
「…意味、分かンねぇな」
慊人は緩く作った拳を口元に当てて肩を揺らす。
笑いを堪えきれないかのように息を詰まらる慊人の心情が理解出来ない。何がそんなにも面白いのか。眉根を寄せてその笑いが収まるのをただ待った。
「鼠は猫を見下し、騙す生き物だよ?ねぇ、ひまりに聞いてみて?俺を騙してるのか、って。最後は俺を裏切るのかって聞いてみなよ?後ろめたさで押し黙るから」
まだ笑いが収まらないのかクックッと喉を鳴らす。
ひまりが俺を騙す?アイツの柄じゃねーだろ。あり得ねぇ。
吐き捨てるように言ってやろうと思ったが、その前に耳元に顔を寄せられていた。両頬に氷のような手を添えられた。
「鼠と猫は水と油だよ?通じ合うなんてあり得ない。近付けば近づく程に亀裂が入るよ。もしかするとお前のせいで取り返しのつかないことになるかもね。ひとり息子の言葉を受けて自ら死を選んだ、お前の母親みたいに」
夾は恐怖と容赦なくエグられた昔のトラウマにもう一度空吐きした。
耳元で囁かれた言葉が、まるで呪いのように脳裏にこびり付く。
違う、俺のせいじゃない。否定しようとするのに脳内に存在する誰かが真っ黒な顔でお前のせいだ、と指を指してきていた。