第10章 声に出さないまま
ひらひらと手を振り、潑春の背が見えなくなった所で片手で口を覆う。勝手にあがる口端を隠すように。
「ほんっと…あのカミサマも、さっさと思い知れよって話…」
口元を覆っただけでは隠し切れずに目元が緩やかな弧を描いていた。
込み上げてくるものが落ち着いた所でフーと細長く息を吐き出して踵を返す。
さーて。じゃあ僕も"抜け駆け"とやらをしに行くかな。僕が納得出来ないなら相手の意思なんて尊重してやんないからね。
僕から離れて行くんだろうか。
どうして?僕は愛される事を約束された存在なんだろう?
父様が言った。僕は愛される為に産まれて来たんだと。
認めない。絶対に認めない。誰も僕を置いて行かない。
必ず戻ってくる。みんな僕無しでは生きられない。
絶対認めない。
あの欠陥品さえ居なければ、誰も僕を裏切ろうだなんて考えない。
「ねぇ、紅野…」
薄暗い部屋の真ん中で憔悴したように天井を見つめたままの慊人が紅野を呼ぶ。"神様に一番近い"と言われている由希に突き放されるような事を言われたのだ。いつもの癇癪を起こしたように暴れていないのがむしろ不思議で紅野の背に緊張感が走っていた。
「呼んできて」そう呟く慊人に、誰を?と問うが返事がない。
僅かな沈黙の後、情緒が安定していないような表情で紅野を見て少し笑った。
「バケモノ。ちゃんとこっちに来てるんでしょ?呼んできて?」
黒い物に取り憑かれたような笑みに戸惑い、即答出来ずにいると「早く!!」と今度は吊り上がった瞳で悲鳴を上げるかのように叫んだ。
今にも壊れそうな華奢な体で、必死に絆に縋り付く慊人に何をしてやれるんだろうか。
紅野は一度瞳を閉じ、一呼吸置いて承諾して部屋を後にした。
何が正解で何が不正解なのか。
天に縋ろうとも、神に問いかけようとそんな物誰も答えてなどくれない。
「ひー!!無理…もうやめてほ…ぶっ!!あはははは!!」
机に突っ伏したひまりが、これ以上腹筋を虐めないでくれと両腕でお腹を押さえつけて息苦しさと痛みに耐える。
シニ使では引き出しネタをやっている所で、ドツボにハマったひまりは今にも死にそうな勢いであった。
隣に座る藉真が微笑んでいるだけで何故爆笑にまで至らないのか。
出来ればひまりも藉真スタイルで鑑賞したかった。死にたくないので。