第10章 声に出さないまま
正直なところ、ひまりはホッと安堵していた。
藉真の所にお邪魔させて貰うとはいえ、二人だけの時間を避けきることは出来ないだろうから。
あの夜の出来事から一週間も経っていないが、お互い何事もなかったかのように普通にしている。否、普通にしようとしている。
次の日の朝、ひまりに声をかけられた夾が飲んでいた牛乳パックを落として床一面を白に染めたり、ジャージのズボンを裏表逆に履いていたりはしていたが…まぁ普通にしている。
一方のひまりも態度には何も出していない。
次の日の朝、卵かけご飯用に出していた卵を味噌汁に割り入れると言う奇行に走る事件を起こす以外は。
まぁ普通にしていても何となく落ち着かないというのは事実な訳で、二人きりにならない状況はひまりにとっては有り難かった。
「行かねぇ。アイツの思惑通りに動く気なんてねぇよ」
「こらこら。最近の慊人さん荒ぶってるんだからー。火の粉が飛ぶんですけどぉ」
「知らねーよ。そっちで火消ししてろ」
「因みにその火の粉受けんのはひまりだろうけどね?」
夾は眉をピクリと動かし、緩やかに細められる瞳に半眼の鋭い瞳を向ける。
紫呉は自分の思い通りに人を動かすのが上手い。主に相手を煽って動かすやり方でなので反感は買いやすいが。
だが基本的に彼は正論で煽るが故に反論の余地がない。今回もそれだった。
夾は紫呉の思惑が手に取るように分かりつつも、納得せざるを得ない。
しかしそのやり方が癪に触る。
小さく舌打ちをして踵を返すと何も答えずに階段を駆け上がって行った。
「ほんと良い性格してるね」ふぅーと頭を掻きながら居間に入ってくる紫呉に由希が皮肉の言葉を投げかけるが、「えー?由希君酷ぉい」と心にも無い嘆きを返され深くため息を吐く。
「ところで、ひまりは藉真殿の所に何時ごろから行くんだい?」
「んー?紫呉達がここ出るの昼頃でしょ?それに合わせて私も行くー」
ところで紫呉は今年のシニ使さぁー…と言葉を続けながら、コタツに入る紫呉にミカンをひとつ手渡す。
ひまりがやっていたように揉みながら、先程夾を煽った事などすっかり忘れているかの様に和気あいあいと雑談を始めるこの男は本当にいい性格をしている。
更に余談ではあるが、紫呉の見解では蛾野ビンタは二人受けるだろう…とのことだった。