第9章 ホダシ
「なぁんで崩れるかなー…」
一階へと続く階段を降りながらひまりは決められた罰ゲームを遂行する為に自販機へと向かった。
時刻は21時。
老夫婦は既に眠っているのか受付は真っ暗で人の気配は無かった。
真っ暗になった売店の横で自販機だけが明るい電灯で廊下を照らしていた。
コーラ…サイダー…とひとつずつボタンを押すと無機質な機械音だけが響く。
夜の旅館の薄気味悪さにブルッと身震いしながら、早く買って部屋に戻ろうと小銭を入れた…が、返却口に滑り落ちてくる。
ひまりは首を傾げた。
何度入れても機械は反応してくれず、すぐに小銭を戻されるのだ。
購入したジュースは二本。
あと三本…いや、せめてあと二本は買わないと絶対に文句を言われる。
だがこの旅館にある自販機はこの一台だけで、老夫婦もいない。
ひまりはどうしよう…と自販機の前に佇んでいた。
「それね、小銭入れのところ叩いたらいいんだよー」
「わっ!!!」
背後から聞き覚えのない声に肩を跳ねさせて、ゆっくり振り返る。
その顔をみてウワァと心の中で言った言葉がどうやら表情にも出てしまい、ひまりはヤバっと歪んだ表情を戻した。
タバコとお酒の匂いがするこの男は娯楽室で目が合った、関わりたくないと本能的に思ってしまった人だった。
だが、ひまりの嫌悪感を出した表情に、嫌な顔ひとつ見せずにははっと歯を見せて笑う。
整った顔立ちだが、くしゃっと笑うその幼さに少し紅葉に似ているなぁとひまりは僅かに警戒心を解いたのだった。
「こんばんわ。ごめんね?驚かせて。っていうか卓球んとこの前通った子だよね?アイツ等品が無いからさぁ、嫌な印象持たせちゃったよねー」
ちょっと退いてて。と自販機の前に立ち手の平の付け根でコイン投入口を二、三回強く叩く。
そしてそのまま彼が財布を取り出し小銭を数枚入れると、自販機は素直に反応し購入ボタンに色が付いた。
ほんとに叩いたら直った…と感心するひまりにクスッと笑いながら横目でチラリと見て「どれ?」と声をかけて来た。
飲み物を買ってくれるという意味だと理解し、首を横に振る。
「不快にさせちゃったお詫び」だと言う彼にもう一度首を横に振ったが、いいから。と強引に自販機の前に立たされ、渋々二本のジュースを買わせてもらった。