第9章 ホダシ
「今から行くの!?傘は?!」
ひまりは病室を出て行く夾を追いかける。
引き戸が閉まる前に扉に手を掛け、気怠げに揺れる背中に声を掛けた。
どっかで買う。振り返り、ぶっきら棒に返ってきた言葉にせめて雨が弱まってから…と言おうと思ったが、こちらの言葉を待たずにまた背を向けユラユラと歩き始める彼の態度をみて諦めたように肩を竦めた。
滝のようだった雨が弱まり始めた頃、和やかな雰囲気で続いていた雑談を遮ったのは藉真だった。
チラリと窓の外に目をやり、今のうちに旅館に向かいなさい。といつもの穏やかな笑顔で促した。
まだ話していたい…とシュンとするひまりと紅葉に、あと数日で退院だから帰ったら家に遊びにおいでと納得させ、俺は残りますと言う邦光にも微笑みながら首を横に振った。
お前もこっちに来て私につきっきりだったんだから今日はゆっくり身体を休めなさい、と。
藉真に別れを告げ、売店で購入した傘を手に病院の玄関を出るとマシにはなったが大雨。
邦光は自前の物があったが、邪魔になるからと傘を二本しか購入しなかったことに僅かな後悔が生まれる。
だが旅館は徒歩5分程で着くらしくひまりがまぁ大丈夫でしょ!と二人一組になり、由希とひまり、潑春と紅葉で傘を共有しながら旅館へと向かった。
邦光が"部屋がガラガラ"だと言っていたので、何となく想像はついていたが特に繁盛もしていなさそうな廃れたように古く小さな旅館に不安を抱く。
木造の瓦屋根の二階建てで、白く塗られた外壁は黒ずんでいて少し薄気味悪さを醸し出している。
病院から近いということもあり、邦光のように入院中の身内の世話で来る人間ぐらいしかここに宿泊をしには来ないのだろう。
館内は外観から想像していた物よりも随分綺麗でホッと胸を撫で下ろす。
受付から出てきて、よくお越し下さいました。と挨拶をしてくれたのは穏やかな雰囲気を全身に纏ったような老夫婦。
邦光が軽く挨拶をして、「じゃあ俺は一階の部屋だから」と何とも味気なくギィと軋む板張りの床を鳴らしながら姿を消した。
部屋へ案内致します。ひまり達の荷物を受け取ろうと老夫婦が手を出すが、食い気味に遠慮した。
流石に自分達よりも明らかに力が無さそうなこの老夫婦に、少ないとはいえ荷物を渡して身軽になろう等と考える者は一人もいなかった。