第9章 ホダシ
運命の悪戯ってやつだろうか。
それにしてはたちが悪すぎるんじゃない?
そりゃ新しい人生歩んでてもおかしくはないよね。
お父さんは記憶を消されたんだから。
目の前のこの人は誰がどう見ても"いい父親"をしていて。
菜々美を見れば分かる。
"ちゃんと"我が子を愛していることが。
産まれてきた赤ちゃんもちゃんと愛されるのだろう。
乾いた笑いが出た。
"私"がダメだったんだと、思い知らされる。
"私"だから愛されなかったんだと、拒絶されたんだと。
ケタケタケタケタと誰かが耳元で嘲笑う。
気味悪く、口元に平べったい弧を描いて。
そんなに違うだろうか。
腕の中に抱かれる少女と昔の自分は。
ふざけるな。腹の底が煮え繰り返った。
何故同じ血が通っているのに、目の前の人間だけが愛に溢れているんだろうか。
まるでひとりぼっちの金魚鉢の中から外を眺めているような気分だった。
見えているのに届かない。
煮えくり返った腹のものが咆哮のように飛び出しそうになったのを、僅かに残った理性で押し留めた。
視線を真っ白な床へと落とす。
この嫌悪感も、怒りも全て違うものだ。
ただ代替えとして湧いてきただけなんだ…と細長い息を吐き出した。
そして見目の良い笑顔を貼り付ける。
「すみません。少し貧血気味で気分が悪くて…。菜々美ちゃん、"お父さん"見つかってよかったね。もう離れちゃダメだよ?」
菜々美は"パパ"と呼んでいたのに敢えて呼び名を変えた。
せめてもの目の前の男に対しての嫌がらせのようなものだった。
これで少しでも記憶が揺さぶられて思い出して苦しめばいいとさえ思った。
あぁ、なんて自分勝手で嫌味な女だろう。
笑顔を貼り付けたまま自己嫌悪で押し潰されそうになる。
「やはり顔色が悪いので誰か人を…」
「結構です」
ピリャリと言い放ってしまった。
何処までも大人になりきれない。
感情が先立ってしまう。
「人を待たせてるので、これで失礼しますね」
「あのっ!お礼を…せめてお名前だけでも…」
ひまりは振り向くことなく去ろうと歩みを進める。
言ってやらない。名前なんて絶対教えてなんか
「ひまりお姉ちゃんって言うんだよ!お姉ちゃんのお友達が言ってた!」
ビクッと肩を跳ねさせて立ち止まった。
白くなる程に手を握りしめて。