第9章 ホダシ
「別れ…ちゃったの?」
「ん?あぁ、もうすぐ二年になるな」
はとりはまた、くたびれた文庫本が並ぶには不似合いな、医学者が並ぶ横にそれを置く。
別れた理由は聞かなかった。
本を片付けた事で"この話は終わり"と終止符を打たれたようで…
こちらから不躾に踏み込んではならないような気がしたから。
「そういえば、潑春と約束してるんだろう」
「あ、そうなの。燈路にも会って行こうと思ってて…」
「燈路?母親が今日は燈路と出掛けると言っていたからいないと思うが…?」
「え、そうなの?じゃあまた違う日に改めるか」
立ち上がり、ドアに手を掛けた所で名を呼ばれて肩越しにはとりに視線をやる。
「最近慊人が不安定でな、見つからないようにしろよ」
「あー…了解。じゃあまたね、ありがと」
多分こないだの由希の言葉が効いたんだろうなー…。心の中で呟きながら、もう一度本に視線をやった。
何があったのかは分からないが、きっとはとりはまだ"その時"から動けないでいるのかもしれない。
本の背に書かれた"ALIVE"のかすれた文字が、妙に脳裏に焼き付いた。
潑春さんから貴女に伝言です。用事出来たからまた今度、と。
本家の廊下を歩いていると、使用人の女性に声を掛けられそう伝えられた。
燈路にも会えなかったし、春も急用か。ひまりは肩を落として本家を後にする。
潑春が来るなら、夕飯のリクエストを聞いて買い物にでも行こうかと考えていたが、その必要がなくなった。
急に予定が無くなり、とぼとぼと目的もなく歩く。
暖かい日差しの中で、キャッキャっと笑う小さな女の子の声。
母親と手を繋いで満面の笑みで空を指差している。
「お母さぁーん!見てみて!お空に綿飴、いっぱぁい!」
「ふふっ。本当だっ!美味しそうだねー」
その子が指差す空をひまりも見上げた。
澄んだ空に浮かぶ大きな大きな綿飴。
小さく千切れた綿飴を置いて、風と共に流れていく。
その内置いてけぼりの小さな綿飴は風と共に消えた。
その様が、なんだか…
「わったあめ!わったあめー!」
女の子の声にハッと我に返る。
お互い目を見合わせて楽しそうに歩いていく親子の背中から、目を逸らして歩き始めた。
暖かい風がひまりの頬を撫でる。
何故だか涙が溢れそうになった。