第9章 ホダシ
「もう帰っていい。また来月忘れるなよ」
「はーい。ありがとー!」
診察の結果、特に懸念されるようなものは何もなかったらしくここへ来てから帰れと言われるまでの時間は10分程だった。
ひまりは衣服を整え立ち上がる。
診察室は几帳面な程に全てが整えられていた。
棚にあるファイル類は色と大きさ別にピシリと並び、机の上のペン立ても同じ種類のペンで揃えられている。
だからこそ目についた。
机に並ぶ医学書と一緒に並べられている、クタクタでシワが入った文庫本。
ひまりが熱を出した時に暇つぶしとして読んでいたものだ。
「ねぇはとり、その本って面白いの?」
淡白な印象のあるはとりが、ひとつの物に執着していることがひまりにとっては物珍しくて興味が湧いた。
ひまりが指をさすそれを手に取りパラパラとページをめくり始める。
よくよく見ればそれぞれのページもくたびれ、ふにゃりと曲がっているページまである。
どれ程読み込んだのか…ひと目見ただけで理解ができた。
「あぁ、これか?まぁ…恋愛物だな。面白くはない」
「恋愛もの!?しかも面白くないの!?」
まさかはとりから"恋愛"という単語が出てくるとは思わず、驚きで目を見張る。
オマケに何度も読んだであろうその本の感想が"面白くない"と言う。
「コレが好きだったのは…俺じゃない」
片手で閉じた本を愛おしそうに見つめるのに、どこか悲しさが垣間見えた。
ひまりはじゃあ誰が?と問いたかったが、踏み入れてもいい物なのか分からず何も言えずに佇む。
チラリとひまりに視線を向けたはとりが、察したように話し始めた。
「佳菜…あぁ。お前は知らなかったな。恋人…だった女性だ」
「えっ」
ひまりは無意識に椅子にもう一度座っていた。
"恋人"と聞いてまず思い浮かんだのは慊人のこと。
十二支に対しての執着と独占欲が強い慊人がそれを許したのだろうか、と。
だが"だった"ということはもう別れていて…もしかしたらその原因は慊人にあるんじゃ…。ひまりの眉尻が僅かに下がる。
「佳菜が医学書ばかりじゃなくこういうのも読め、と言ってな。俺にとっては面白くもなんともなかったが、佳菜は気に入ったらしくていつもコレを読んでたな」
フッと微笑む表情に胸が締め付けられるようだった。