第9章 ホダシ
シャ、シャ、シャ…と聞き覚えのある音にさらに強張る体。
「ひまり…?あ、起きてた?」
顎辺りまである長いもみあげをサラッと揺らして遠慮がちに顔を覗かせたのは、ひまりの予想通り由希だった。
穏やかに微笑む由希の唇が目に飛び込んできて狼狽る。
「今!!今ね!起きたの!」
現実だったら恥ずかしすぎて顔を向けられない。
夢だったとしても、それはそれで欲求不満みたいで恥ずかしい。
ひまりが焦った様子で"今"の部分を強調していることに、由希は首を傾げて頭にハテナを浮かべていた。
「えーっと…とにかくもう放課後で、生徒会が終わったから迎えに来たんだけど…動けそう?」
「大丈夫っ!今日1日寝っぱなしだったねー私!」
俺が一回来た時も爆睡してたよ。という由希の言葉に、もしやあの犯人は由希だったのか!?とドキッと心臓が跳ね上がる。
だが、それにしては由希の態度が普通過ぎて困惑に拍車がかかる。
「こ、この鞄由希が持ってきてくれたの?」
「いや、それは俺じゃなくて」
「あっ!それねぇ、私が草摩君にお願いしたのよー」
顔を出した保健室の先生の言葉に、ひまりと由希は首を傾げた。
この学校に"草摩君"は四人いる。
それに気付いた先生が、ごめんごめん草摩夾君のことよ。と眉尻を下げて笑う。
「え?夾!?」
新たな容疑者の浮上にひまりは目を剥くが、由希は知っていたのか表情を変えずにいた。
「隣のベッドに草摩夾君が居たんだけど…あら?私言ってなかったかしら?」
先生は人差し指を頬にあてて小首を傾げる。
いやいや聞いてませんっ!ひまりが食い気味に返すが、ごめんねぇと軽く謝罪したあと、大丈夫そうなら早く帰りなさいと下校を促した。
由希か夾か、見ず知らずのモブ生徒か…それとも夢落ちか。
道場から帰ってきて夕食を共にした夾もいつも通りだった。
鞄とミネラルウォーターありがとう。と探りを入れるようにお礼を述べて反応を見てみたが「お」といういつもの味気ない返事が返ってきただけ。
生理ひとつでギャーギャー騒ぐ夾の事だ。
キスなんぞしようもんなら、ひまりの顔など一切見れずにその辺を転がり倒していてもおかしくは無い筈。
キッチンで後片付けをしながらひまりは頭を抱えていた。