第9章 ホダシ
——— アタシも…お母さんって呼んでも…いい?
——— いいよいいよー!!もうリンも可愛いんだからーっ!
——— じゃあリンは私のお姉ちゃんだねっ!!
「おか…あ、さん…」
蘇った記憶の中で幼い依鈴とひまりの母がニッコリ笑い合っていた。
母の顔は靄がかかったようにボヤけていたが分かる。
とても嬉しそうに笑っていると。
三人で抱き合う光景に手が震えた。
理解が追いつかない。
私はお母さんに疎まれていた筈なのに、記憶の中のそれはとても幸せそうで。
「とにかく話は後…。ココを出る計画立てる」
「ま、待って…私出ていくつもりは…」
「リンちゃぁーん」
張り詰めた空気にはとても合わない、間延びした声に二人でドアを振り返る。
閉めた筈のドアが開いており、それに身体を預け胸の前で腕を組み、着物の袖に手を隠すように入れている。
睨むように…だがまるで余興でも楽しんでいるかのように口端は上がっていた。
「紫呉…」
「…二階には上がってくるなって…言っただろ…」
「それは君が勝手に言ってただけで、僕はその勝手な言い分を呑んでやった覚えは無いけど?」
フッと嘲笑を浮かべる紫呉に、依鈴は歯噛みした。
馬鹿にしたような表情のまま依鈴を鋭い目付きで見据える紫呉に、ひまりは困惑する。
「悪いけど、うちのお姫様を誘拐しようとするの辞めてくれますぅ?」
「うるさい…っ。他に方法がないんだ。邪魔するなら…」
「独り善がりだっつってんだよ」
いつも飄々として、瞳からもあまり感情を読み取れない紫呉の瞳孔がギュッと小さくなる。
余りにも冷酷なそれにゾッと背中に悪寒が走った。
だが、それも一瞬。
また見目の良い笑顔を作ってみせる。
「ダメだよーリンちゃん?"絆"がある限り草摩から…慊人さんから離れられないってことは、ずっと"見ていた"君が一番よーく分かってるでしょう?」
「……っ」
依鈴は唇を噛み締めて、図星を突かれたことに言葉が出ず眼光だけを鋭くさせる。
二人の会話の意味が分からないひまりはただその異様な雰囲気に、それぞれの顔を往復して見ることしかできなかった。
「また来る」とだけ呟いて逃げるように部屋を出て行く依鈴を止めようと手を伸ばしたが、届かなかった手を動揺したまま見つめていた。