第9章 ホダシ
いやいやいやいや、違う違う。そうじゃない。
夾は透に目もくれず、ひまりの目の前に片膝をついてしゃがみ両肩を掴んだ。
安堵と心配と少しの怒りを混ぜて顔に塗りたくりましたみたいな表情で、僅かにあがった息を吐き出している。
隣に透君がいるのに、なんだその選択ミスは。
今すぐ外に出て鍵閉めて、鍵開ける所からやり直せ。と脳内にいるもうひとりのひまりが喚いている。
「…平気か?」
掠れた声が鼓膜に響いて心臓が跳ねる。
いやいやいやいや、ほんとやめて欲しい。
夾から視線を逸らして横目で透を見れば、にっこりと聖母のような微笑みでこちらを見て、差し出された咲の手を取り立ち上がっていた。
正に鳩が豆鉄砲を食ったような心境。
意味が分からない…と頭を抱え始めたひまりを夾は心配そうに顔を覗きこんだ。
「具合…悪ぃのか?」
「具合はすこぶるいいケド、精神が混乱を極めて洗濯機でグルグル回されてる気分なんだが?」
「お前、頭打っただろ」
皮肉を言いながら一気に心配してた顔から呆れ顔に変えた夾が立ち上がってひまりに手を伸ばす。
一瞬躊躇しつつその手を取ると「かっる…」という言葉と共にいとも簡単にひまりの体は引き上げられた。
「大丈夫か?お前?」
「…平気。透君…一緒にいてくれたし…」
さぁ、今から状況を整理しよう。
人間というのは予想外の出来事に弱い。
こういう時にこそ思考を巡らせる必要がある。
透君と閉じ込められた。
恐らく故意に。
証拠が無いのに決め付けるのは愚か者の考えだが、犯人は由希の親衛隊とみてまず間違いない…と思われる。
まぁただの憶測ではあるが。
いや、違う。今はもうそんな事はどうだっていい。
透君と夾が両想いである。というひまりの中の法則が崩れ去っているのだ。
おまけにこの部屋に入ってきた時に夾が透君よりも先にひまりの方へ目を向けたという不可解行動。
今この瞬間ですら、透君に「大丈夫だったか?」の一言すらない。
いや…え?おかしくない?え?
それに今、引き上げてもらったまま手は繋がれている。
夾はその手を離そうとはしなかった。
え、まって。
え?どういう状況?
心臓がいつ爆発してもおかしくないんだけど?
ひまりは混乱したまま繋がれた手を見つめていた。