第8章 彼岸花
カッカッカッとボウルの中で卵を掻き混ぜていると、後ろに立つ黒い雰囲気を醸し出した人物の気配。
ひまりは掻き混ぜる手を止めることなく、視線も向けずに声を掛ける。
「由希、どうしたの?何かご機嫌ナナメって感じだね」
ひまりは先程の違和感を分析した結果、紫呉が何かしら余計な事をした…または余計な事を言ったことで朝から由希の機嫌を損ねたのだろう、と。
由希が毒づくのは最近はよくある話だが、開口一番にあそこまでトゲトゲしい言葉を浴びせてくるのは珍しい。
せめて「寝ぼけてるの?」ぐらいだろう。
由希は朝食の準備を手伝いながら、珍しくむすっとさせた顔でゆっくり口を開く。
「…昼から兄さんが…来るらしい」
その一言だけで、あぁとひまりは納得する。
紫呉が気まずそうにしていた理由も。
「そういうことか。紫呉が呼んだの?」
「朝一に電話がかかってきて、俺が断ろうとしたら後ろから受話器を奪われたんだよ。ったく…」
ぶつくさと文句を言っている由希に、そりゃ怒るよねぇ、と返しながら熱したフライパンに卵液を流し込む。
ジューっという耳障りのいい音の後にプツプツと小さい気泡を作り出すそれを菜箸で突いて潰していった。
こんな雨じゃ出掛けられないし…と眉を寄せる由希に、ひまりはハッとして振り返る。
「え、それいいじゃん。出掛けようよ!」
途端に機嫌よく鼻歌を歌い始めるひまりに、目を白黒させる。
俺の話聞いてた?と問い掛ければ、聞いてたからこそでしょ?と返され、噛み合わない会話に首を傾げた。
ひまりは卵を巻き終えた所で、キッチンの窓から外を眺める。
由希も同じく視線を向けるが、やはり薄暗く滝のような雨が降り続いていた。
「大丈夫!雨は止むよ!」
ニッコリ笑って振り返る彼女に、何の根拠が…と口に出そうとして辞めた。
何となく、それを信じてみたいと思ったから。
「でもひまり…」
コンロの火を消した彼女の横に立ち、容易く片手で彼女の頬を挟むと自分の方に向かせた。
「なによ」と挟まれた頬のお陰でくぐもった声を出すひまりは不思議そうに由希を見上げている。
「寝てないでしょ?目の下に隈が出来てるよ?」