第8章 彼岸花
血が滲むひまりの左耳に口を寄せ、慊人は地を這うような声音で語りかける。
「お前の条件を通したいならこれが妥当だ。ねぇ…どうするの?」
もう後戻りは出来ない。
私の目的は勝つ事ではなく受ける事。
早くなる呼吸を必死で押さえつけながら、ひまりは瞳を鋭くさせた。
恐怖に負けるな。
ここで引いてしまえば、きっとチャンスは二度とない…。
「…この賭けの間に…猫憑きの離れを取り壊すって…約束して…勿論夾に幽閉は無しだって、伝えてることも…っ。それを約束…してくれるなら…受ける。その、条件で」
ひまりの言葉に慊人はニヤリと笑い、掴んでいた手を離す。
傷ついてるであろうジンジンと痛みが続く左耳に、ピアスホール閉じちゃったらどうしよう…と場違いなことが頭に浮かんだ。
「…いいよ。来年の4月…お前達が3年になった時点で取り壊しと、夾に伝えるよ。勝負の日は1年後…それでいいよね?」
ニッコリと微笑みながらひまりの頬を流れた涙を着物の袖で優しく拭う慊人に背筋がゾッとする。
無邪気すぎる残酷さに戦慄を覚えた。
「前回も言ったけど、賭けのことを口外すればその時点でお前の負けだよ。そしてその場で幽閉にする。…肝に銘じておくんだよ?」
ひまりがゆっくりと頷くと、「今日はご苦労だったね。帰っていいよ」と満足そうに微笑んだ。
窓から見える紅葉がまた一枚だけハラハラと落ちていく。
ぎこちなく舞いながら。
賭けが始まってしまった。
コレでいい…。
慊人の部屋を出ると、皮肉にも雨が上がって澄んだ空は、想い人を思わせるような綺麗なオレンジ色に染まっていた。
声を上げたくなった。
大声で小さな子どものように泣き喚きたかった。
何も気にせず、何も考えず、ただ嘆くことができたらどんなに良かっただろう。
目一杯吸い込んだ息を止めて、喉に蓋をする。
悲鳴が漏れないように。
痛む左耳に触れればピリッと鋭い痛みが走った。
両頬をパンッと叩いて無理矢理口角を上げる。
人狼ゲームを思い出せ。
上手くできたじゃない。
手首につけていた髪ゴムで髪を一つに縛り、慊人の部屋から遠ざかっていった。
平静を装うことに必死だったひまりは、自身の背に視線を向けられていることに気がつくことはなかった。