第8章 彼岸花
「なんか…中途半端な雨だなー…」
ポツポツと降ってきた雨に、鞄の中に入れてあった折り畳み傘を取り出そうとして止める。
傘を差さなくても凌げそうなほどの雨に空を見上げて目を閉じた。
今から向かうは草摩本家。
行けばもう後戻りは出来ない。
怖気ずく。
腹を決めた筈なのに、嫌だと悲鳴を上げる心が邪魔をする。
中途半端なこの決意を、空に嘲笑われているように思えた。
ふぅーと息を吐いて鞄を背負い直し、また歩き出す。
足取りが重い。
もう引き返してしまおうか。
何事も無かったようにあの暖かい家に帰って、賭けのことを無しにして…残りの時間を過ごすのも悪くないかもしれない。
揺らぐ心にふと道の端に目をやった。
田んぼの脇に咲く二本の彼岸花に目を奪われて立ち止まる。
——— 彼岸花って死の花って言われて忌み嫌われてるけど、本当は彼岸花の持つ毒で遺体を害虫とか動物から守るために植えられた"守りの花"なんだよ。「思うはあなたひとり」っていう素敵な花言葉もついてるしね
そう教えてくれたのは誰だっただろう…。
二本あればふたりを想うことが出来るんだろうか…。
その時、脳裏に夾と透の顔が浮かび上がった。
「……行かなきゃ」
重たい足が少し軽くなったように思えた。
守りたい人がいる。
何があっても、守り抜きたい人達が。
揺らぐ気持ちが無くなった訳じゃないけど
それでも腹は決まった。
後戻りするつもりはない。
後悔するつもりも。
賭けに勝つつもりなんて毛頭ない。
受けた時点で私の願いは叶ったもの同然なんだ。
私の願いはただひとつ
"猫憑きの離れを取り壊して、夾の幽閉を無しにする"
何がなんでも確実に、私を十二支から引き離したい慊人の感情は、私にとっては都合が良いはず。
強くなれ。
怖気ずくな。
腹は決まったんだ。
あとは"駆け引き"をうまくやるだけ。
強い決意を瞳に宿して、しっかりと地面を踏み締める。
心の悲鳴に蓋をして、目の前を見据えた。
大きな門を抜け、慊人の部屋へと向かう。
腹は決まった。
躊躇しそうになる手に力を込めて扉を開けた。
"思うはあなたひとり"
好きだよ夾。
あなたの幸せを心から願う。
腹は決まった。
部屋に入り、ゆっくりと扉を閉めた。