第8章 彼岸花
「わ、私ひとりだと…心許ないやもしれませぬが…」
透の腕の力が緩まり、ゆっくりと離れて彼女を見ると、照れたように申し訳なさそうに頬を掻いていた。
ひまりはクスッと笑って、透に向けて両手を広げた。
「もう一回…ギュッてしていい?」
「も、も、勿論!私で良ければ…っ」
透の言葉の途中でひまりは思い切り抱きしめた。
暖かい。
「透君がそう言ってくれるなら百人力だよーっ!大好き!もうー…大好きっ!!!」
「私も…私も大好きですよー」
幸せだと思った。
嘘でもそんな風に言ってくれる人がいることが。
そして心から願う。
本田透という人間の幸せを。
十二支の猫が好きだと言った透と、その猫である夾が幸せになってくれるように。
その幸せを壊させないようにしたい。
透の気持ちを無視する訳ではないが、夾の隣には彼女がいてくれればいいな、と。
自身の恋心を深く、深く沈めた。
玄関では先に靴を履いた夾が扉を開けてポケットに手を入れたまま待っていた。
透が焦ったように靴を履きながら「送って頂かなくてもひとりで大丈夫なのですが…」と眉尻を下げていた。
「夾が送るって言ってるんだから素直に甘えなよー。女の子ひとりで夜道を歩くのも危ないしね」
「夾くーん!透君襲っちゃだめだぞーっ」
「うっせ。襲うわきゃねーだろ」
紫呉の茶化しに、怠そうに眉を顰めると「行くぞ」と透に声をかけて玄関を出て行く。
透がそれにまた焦り「お邪魔しましたっ」と頭を下げると、急いで夾の後を追いかけて行った。
「本田さん今日はありがとー」
「透君、また明日学校でねー!」
由希とひまりの声に透は振り向いて手を振ると、既に見えなくなっている夾に追いつくために階段を駆け下りて行き、彼女の姿も見えなくなった所でひまりが両腕を上げて伸びをする。
「よし!洗い物しなきゃっ」
「俺も手伝うよ」
「ありがとう由希。紫呉、先にお風呂入ってきたらー?」
「そうさせてもらうよ。片付けよろしくねひまり、由希君」
以前自分が思っていたことは勘違いかと思う程、夾が本田さんを送ることを申し出た時もひまりの態度は変わらなかった。
もしも勘違いなら。
夾を好きでないなら。
その方が都合がいい。だなんて考える自分が嫌だった。