第8章 彼岸花
世の中は無常だ。
人の心もまた然り。
はとりの車で家まで送ってもらったひまりは玄関の扉を開けずに佇んでいた。
気付いてしまった感情。
もしも拒絶されてしまったらと想像しただけで湧き出る底知れぬ恐怖。
この感情が、こんなにも厄介なものだとは思わなかった。
もっと無垢で、ふわりと暖かい光に包まれるような…そんなイメージだった。
でも実際は違う。
欲に塗れた底無し沼のようなもの。
賭けに関しても、この感情から湧くただの自己満足だ。
私が、夾の苦痛に満ちた表情を見たくない。
私が、夾の幽閉を望んでいない。
私が、夾の人生に関わりたい。
どの道を選んでも私の幽閉が変えられないなら、
この感情が報われないものなら
せめて夾の運命を変えたのは私なんだっていう事実を作りたかった。
慊人の部屋の外に待機してくれていたはとりに会話内容が聞こえてなかったのは幸運だった。
その事実を私以外の人間が知ることは許されないから…。
ガラッ
「おぅふっっっ!?!?」
佇んだまま自身の気持ちを整理していた所に突然開いた玄関扉に、ひまりはお世辞にも可愛いとは言えない頓狂な声をあげた。
扉を開けた夾と、その後ろにいる由希も驚いたように目は見開かれていたが、彼らが声を上げることはなかった。
「おっ…前!何勝手に帰ってきてんだよ!?」
「へ?」
グワッと前のめりになって怒鳴る夾に圧倒される。
懸念していた人物が急に現れたことに、その表情と体は固まったままだった。
「迎えにいくって…」
「うるさい馬鹿猫、入り口を塞ぐな」
呆れたような半眼で目の前に立っていた夾の背中に蹴りを入れた由希は、腕を組んで地面にへばりつく夾を見下すように見てからひまりに視線を移した。
「体調はどう?迎えに行くって言ってたのに何も連絡がなかったから…今から行こうと思ってたんだ」
人の背中を蹴り飛ばす…という所業をやってのけた割には涼しい顔をしてひまりに話しかける由希。
のそり…と顔に土をつけた夾が起き上がり、額に青筋を立てて「クソねずみ!!!」と殴りかかろうとしたのだが、既に玄関内へと由希に招き入れられていたひまりが目にしたのは、今度は玄関扉の擦りガラスに勢いのままへばりついた夾の顔だった。