第6章 執着
「何でもねェ。疲れただけ。…髪、乾かせよ」
急によそよそしくなる夾に違和感を覚えながら、立ち去ろうとする彼の服の裾を握って引き留める。
「え、まっ…」
まって…と呼び止めようとした。
が、さっき頬から離された夾の手に自分を拒否されたような気がして…
同時に慊人に言われた言葉が脳内で再生され、ひまりは続きの言葉を発することが出来なかった。
——— 夾はね。お前が嫌いなんだって。大嫌いなんだって。
そうだった。
あの可能性はまだ消えた訳じゃなかった。
続きの言葉を飲み込み、裾を握る手を離す。
「ん?」
振り返った夾は暗い表情の中にも優しさを宿していて、僅かに眉を上げて柔らかい声音でひまりの顔を覗き込む。
ふんわりと包み込むような夾の雰囲気に、臆病になった心が息を吹き返して「絶対何かあったでしょ!」と頭の中で夾に詰め寄っていた。
けど、実際に言葉には出せなかった。
首を左右に振ってから、無理矢理ヘラッと笑って見せる。
「ううん。ゆっくり休んで。おやすみ」
微笑んでひまりが言うと「お」と軽い返事をして夾は自室へと戻って行く。
その背中を見つめることしか出来なかった。
頭の何処かで期待していたのか、見過ごして欲しかったのか…ふと浮かんだ「気持ち悪ィ笑い方してんじゃねーよ」って夾に言われそうだと思った言葉は、ただの思い過ごしになった。
後ろ手に隠した"楽羅命"と書かれた巾着をギュッと握りしめ、ふぅ…と息を吐く。
自室へ戻り持っていた巾着を、刺繍面を下にしてローテーブルに置く。
——— …髪、乾かせよ。
「そうだそうだっ。髪乾かさなきゃ」
誰に聞かれてるでも無いのに言葉に音を付けたのは、動揺も落胆もしていないんだと自身に言い聞かす為。
ドライヤーを引っ張り出し、コンセントを差し込んでスイッチを入れる。
いつもなら何気なしに行う行動を、ひとつひとつ脳内で文章化していくのは結構頭を使う。
ワザとそれをやり続けた。
右手でドライヤーを持ち、左手で髪の根本をワシャワシャ…わしゃわしゃ?なんか違うなー。プロっぽくない。
ってかプロって何のプロよ。
ふふっと笑った。
いま、不自然で気持ち悪い笑い方になっていた。
自分でも分かるほどに。