第5章 それぞれの
「俺の名前、母親が付けたんだと。よく見てみろよ"人"って漢字が3つも入ってるだろ」
「あぁ、たしかに」
ひまりはもう一度手のひらに書くとウンウンと頷く。
それを見て夾は自嘲したように薄く笑った。
「…"人"になってほしかったんだよ。どんだけ必死なんだよって話だよな。名前に…人であるようにと願いを込めたんだよ。きっと」
乾いた笑いを浮かべる夾に、ひまりは眉根を下げて視線を床に落とした。
「その漢字にどんな意味があるのか。夾のお母さんがどんな想いでその名前をつけたのか、私にはわからない…でも」
ひまりは夾に詰め寄ると彼の手を取り、手のひらを上に向けさせた。
彼女の行動に困惑して首を傾げつつも、抵抗することなく見守る。
夾の大きな手に、先程自身にやったように指で"夾"と文字を書き始めた。
「私はね、この字…凄く好きだよ。夾に合ってると思う」
皮肉か?と思ったが、彼女が自分の手のひらに書いた文字を大切なものに向けるような目で見ていてその考えを消す。
ひまりはパッと手のひらの主を見上げると、細い腕を横に広げた。
「初めてこの字を見たとき、こんな風にね、大きく手を広げた人が皆んなを包み込んでるみたいだなって思ったの。夾みたいだよ。大きな手で包み込んでくれる…」
両手を広げたまま「だから夾にピッタリ!」と無邪気に笑った。
フイッとひまりから顔を逸らし、鍋の火を止め流しに用意していたザルに素麺を流し入れて流水で洗い始める。
手際良く作業を進めるその姿は、まるで照れ臭さを隠してのようにも見えた。
「…なんだよソレ。無理矢理じゃねェか」
「あはは!かもしれないねー。けど、良い意味と悪い意味の両方があるなら、私の可能性の方を信じてよ」
「取ってつけたような可能性だけどな」
ひまりが広げていた手を元に戻すと「私は夾、好きだよ」と名前の事を言われていると分かっているのに、夾は自分の顔に更に熱が集まってくるのが分かってまた視線を逸らして「さんきゅ」と呟き、素麺の水気を切り出す。
水の音に掻き消されそうな声を僅かに聞き取れたひまりはクスッと微笑みながら、途中だったネギ切りを再開し始めた。