第6章 夏風の誘い
そう言いたいのに、声を発したいのに、驚きのあまり上手く言葉が紡げない。
はやく 何か喋らなければ。
そうだ彼の名前を…
誰かの名前を呼ぶことにこれほど時間をかけたことなんて、果たして今まであっただろうか。
必死に喉を動かして花菜は小さく呟いた。
「京治、くん……?」
今この瞬間 この場所に、この世界に、こうして立っているのは二人だけなのではないか。
そう錯覚してしまうほどに周りの景色はぼやけていて、花菜の瞳はただ真っ直ぐに京治だけを捉えている。
そしてそれは京治も同じだった。
左手に触れたぬくもりが離れていた時間を繋いだ。偶然だとか確率だとか、そんなものはすっかり花菜の中から消えていた。
ただあるのは、どうしようもないほど溢れた気持ち。
掴まれた左手をぎゅっと握り返して花菜は静かに笑った。
「やっと会えたね。京治くん!」
「っ…!」
ぐんと溢れ出した色んな思いがようやく少しずつまとまってきて、花菜はやっとこの状況を理解したのだ。
《そりゃあ嬉しいです。でも、そんな確率そうそうないですよ》
京治の頭に、数日前に言った自分の言葉がふとよぎる。
あれほどあり得ないと思っていた夢のようなことが、今こうして現実となって起こっている。
運命は本当にあったのだ。
目の前にいる彼が何よりの証だ。話したいことが沢山ある。聞きたいことは、もっとたくさん。
「結城、ちょっといいか?」
烏養コーチに呼ばれて、はっと現実に引き戻される。そうだ ここは体育館だ。