第5章 それぞれの温度
花菜の罠にまんまと引っ掛かった及川は、ふん、とそっぽを向いて そのままスタスタと歩き出してしまう。
その頬がほんのりと紅色に染まっていたことに花菜が気づくわけもない。
「わ!待ってください」
「嫌だね!」
さっきまでの緊張はどこへやら。気がつけばふたりは、いつもと同じように平和な小競り合いを繰り広げていた。
「騙したことは謝ります。ごめんなさい」
先を行く及川に置いていかれないよう、花菜は必死に彼を追う。
速歩きしているだけだというのに、どうしてこんなにもスピードに差があるのだろう。
「あ」
ようやく追い付いたかと思えば、何を思ったのか及川は突然立ち止まった。
「いてっ、」
小走りだった花菜は突然の障壁にブレーキが効かず、そのまま及川の背中に思いっきり顔面をぶつける羽目になる。
及川は片手を腰に当てながらニッコリと振り向いた。
「俺優しいからさ さっきのも許してあげるよ」
「! ありが──」
「その代わり!」
及川は鞄の中から何かを取り出すと、悪戯な笑顔で花菜に言った。
「花菜、右手出して」
「え?」
なぜだか、嫌な予感しかしない。
戸惑う花菜だったが、及川により半ば強引に右手をとられてしまう。
「はい。じゃあそのまま目閉じて」
「なにを企んでるんですか?」
「なーんも」
及川の口許にあるイタズラな微笑みが、より鮮明なものになる。
きっとこれ以上なにを言っても、彼が聞く耳を持ってくれることは無いのだろう。
今回も見事に惨敗して花菜は渋々目を閉じた。