第3章 公式なんていらねぇ!
及川の押しにとうとう負けた花菜は、分かりました、と頷いた。
バイト先への挨拶を終えると花菜は家に戻った。時刻は20時を回っている。
今日も、及川に家まで送ってもらってしまった。
花菜の隣にはまだ及川の姿がある。
「なーんか久々だなー。ねぇ花菜、ボール出していい?」
「どうぞ」
よっしゃ!と嬉しそうにはしゃぎながら、及川は花菜の家の庭に出た。
庭というよりもコートと言った方が正しい。ちょうどテニスコート一面分ほどの広さでバレーのネットも張られている。
家の中からガラガラと扉を開けて、花菜も縁側に腰かけた。
「んーやっぱここはいいね。毎日通いたいくらいだよ」
「さすがに毎日は勘弁です」
冗談混じりに笑い合いながら及川はオーバーで花菜の方にボールを送った。
やってきたボールを花菜はアンダーで軽く受け止める。小さく上がったボールはそのままトンと綺麗に花菜の手の中に収まった。
「久々に勝負しようか」
「! 挑むところです」
ニッと口角を上げて花菜は及川にボールを返す。久々に降りたコートに、自然と心が浮き立つのを感じた。
この家は元々、花菜が生まれる前に父と母が暮らしていた場所だった。持病があった母は花菜を授かったと同時に、主治医の紹介で東京の大きな病院へ移ったのだという。
母の病気は必ず治る、そしていつか家族全員揃って宮城のこの家に帰ってこよう。
そう約束した両親が、東京にいる間もずっと残してくれていた家。
近所に住む祖父母が定期的に手入れに来てくれていたそうだ。
"家族全員"は果たせなかったがこの家とコートは花菜にとって大事な母の形見でもあるのだ。
広いコートは父の設計で、中学の頃は花菜も散々自主練でお世話になった。及川や岩泉と共にこのコートでしょっちゅう練習をしたものだ。