第16章 餓鬼
目の前に一枚のガラスがあった。
それはどこまでも続き、私は向こう側へ行けない。その向こう側に私がいた。
今の私じゃない。
笑うことさえできなくなった、感情を忘れた、鬼の、私。
「…これは、夢なの?」
思わずこぼした。
『いいえ。あなたに話しかけています。』
「……どういうこと?」
『あなたは、私…私は、過去。』
私はガラスに手を当てた。
『思い出しては、いけません。』
「…ううん。私、思い出したいよ!全部、全部…!!私は今、継子のことも覚えていない……!」
『……来たいというのですか?』
ガラスの向こうに業火が見えた。私は悲鳴をあげて数歩退く。
『来てはいけません。』
「ねえ、どうして?何で全てを忘れようとするの?何で捨ててしまうの?」
『そうしなければいけないからです。それが鬼になった私のけじめであり、覚悟なのです。』
「じゃあどうして鬼になったの。幸せなことも愛も優しさも……悲鳴嶼くんも、継子も、お館様も捨てて…!!!」
『……。それは、あなたがもうわかっていること。』
ガラスの向こうの炎は決して私には届かない。これが、私と私の距離。
『恋をしたのね、私。不死川くんに。』
「……!!」
向こう側の私は無感情に言った。
『私、悲鳴嶼くんのことを今でも愛しています。』
「……でも。」
『この気持ちは私のもの。あなたにはあげられない。』
「……!」
『あなたの気持ちは、あなたのものです。大切にしてくださいね。』
向こう側の私は炎の中そう言った。
「……本当に、それでいいの?霧雨を全部私だけのものにしてしまうの?」
『あなたのものだもの…。』
「そんなの許さない。あなたは私、私もあなた。こんなところで逃げ出すなんて無責任なことは許さない。」
『………』
「あんたみたいに…あんたみたいに、全てを放り出して後世に託すだなんてだっさいこと……!!私は絶対にやらない!!」
向こう側の私が手を伸ばす。その手は、硝子を突き抜けた。
『………これだけ』
その手の中に、かすかな炎があった。
『ごめんなさい、今は、これだけ……これだけ、持っていて…』
向こう側の私が言う。その炎は熱くもなく、冷めきった温度だった。