第53章 月下美人 *
カランと氷がグラスの底につく音とほぼ同じタイミングで、さきはカカシの名を呼んだ。
「ん?なーに?」
『――――――甘えても、いい?』
ドキリ、とカカシの心臓が大きく跳ねた。
トロンと蕩けたような目でこちらを見上げるさき。
彼女はグラスを持っていない、空いていたもうひとつの手の指で、カカシの服を摘んでいた。
―――――― 何だって?
カカシはパチパチと、大きく瞬きを3回ほど繰り返した。
多分、聞き間違えては無いハズだ。
でもそれがどういう意味なのか、カカシの理解がなかなか追いつかないのは、聞きなれないことを彼女の口から聞いたからか。
(…オレも酔ってるな…)
はたまた、酒のもたらした酔いの所為か。
(…いや、ちゃんと考えろ。)
カカシは短く息を吐き出した。
突然こんなことを言い出すということは、さきも結構酔ってるみたいだし、気分でも悪くなってきた…とかかもしれない。
「どーしたのよ。気持ち悪くなってきた?」
なるべく平常心を保ちながら問いかける。
しかし、彼女から帰ってきた答えは想像とは異なるものだった。
『んーん。ちがうよ』
彼女の手元のグラスには、まだ半分ほど残った酒が光っている。
『―――――― 単純に、“そういう気分”になっただけ…』
そう言って、結露したグラスの水滴を、ポタリと指先から垂らしながら、黒くて長い睫毛を伏せて残った酒を飲む彼女は、妙に官能的だった。
カラン と再び氷とグラスがぶつかる音がした。
『…あかん?』
もう一度、こちらを見上げる瞳。
赤く染まった肌も、力なきその眉尻も、普段のさきとは全く違って目が離せない。
―――――― さて、何と答えたら良いものか。
真っ直ぐな月明りに照らされる中、カカシはぐるぐると思考を巡らせた。
良いよ、でいいのだろうか?
いや、まず彼女の甘えるってなんだ?
はぐらかした方が良いのか?
…待て、オレの考えすぎか?
でもさきも大人の女だぞ
「………」
言葉が詰まって出て来ない。