第1章 君が教えてくれたこと
これ以上、望むことなんて何もないと思った。
途端に、悩んでいたことが馬鹿らしくなる。
ざあっ と風が吹いて、花弁を散らす。
心の中のもやもやが、桜の花びらとともに、吹き去っていく。
晴れやかになった気持ちで、心からの笑みを光秀さんに返した。
「……やっと、笑ったな」
光秀さんの大きな手が頬を包んで、親指が愛おしそうに撫でる。
「ごめんなさい。下らないことでむくれたりして…」
「なに、謝ることはない。お前のどんな表情も俺にとっては可愛いだけだ。……だが、お前は笑顔が一番だ」
頬を包んでいた手が するり とうなじに触れ、決して強くはないのに、有無を言わさない力で捕らえられる。
鼻先が触れるほどの距離に迫った光秀さんの笑顔は、先程の優しいものではなく、意地悪めいていて、鼓動が速まっていく。
「…あ、の…」
「さっきは逃げられたからな…」
「え?…ぅん…」
状況を理解する間もなく重なった唇に、驚いて逃げる腰を ぐい と引き寄せられ、口づけは深くなる。
遠慮なく割り入ってきた舌が口内を味わうように ゆるり と蠢く。
濃厚な刺激に思考まで溶かされ、立っていられなくなって、光秀さんの着物を きゅっ と掴むと、ようやく解放された。
「……矢張り、こっちのほうが柔らかいな」
「…っ、急に、なんで…」
「急ではない。待った褒美を戴いたまでだ。俺にお預けを喰らわせたのはお前だろう?」
「お預けって…」
(さっきのお茶屋さんでのこと…?)
「あれは、そんなつもりじゃ…」
「俺はお前が良い子に”待て”が出来た時は、存分に褒美を与えてやっているつもりだが…」
光秀さんのしなやかな指に すいっ とうなじを撫で上げられ…
ぞくり とした感覚が、これまでの”ご褒美”の数々を脳裏に浮かび上がらせ…
ぼっ と顔が火を噴く。
「それなのに、お前は俺に褒美はやらないと言う。それはあまりにも酷い仕打ちだと思わないか?」