第3章 狐の恩返し~狐目線~
「……この香り。光秀さんが使っているお香ですよね?」
微かに、自分の香りを纏ったそれを〇〇が差し出す。
(……ほう、それに気づいたならば、上出来だ)
「あの香は特段珍しいものでもない。何処でも容易に手に入るものだ。それだけでひとりの人物を特定するのは、少々浅はかだぞ」
そう言うと、〇〇は続けて何か言おうと口を開きかけて閉じた。
その仕草で、もうひとつの問題も解けたことを悟る。
(満点だ……よしよし)
香も、風車も、名を記してあるわけでもない、それが俺のものだというには、証拠不十分だ。
だが、そこからお前が俺を推測するには、十分だろう。
しかし、露天商の店主や童から、人伝に俺の関わりがあったことが知れれば、それはひとつの証拠となる。
油売りに化けた家臣を目くらましに遣ったのは、その証拠を与えないため。
そうすれば、贈り主の正体は俺が認めない限り、何処かの悪戯狐の仕業に過ぎない。
〇〇からこの贈物の理由をはぐらかすには、贈り主ごと化かしてしまうのが得策だ。
お前はそんなの屁理屈だと怒るかもしれないが…
(悪いな……屁理屈を並べて人を欺くのが俺の生業だ)
「……じゃあ、一体誰だって言うんですか…」
散々はぐらかされ、〇〇はようやく諦めた様子だった。
真実を言ってやれない代わりに、満点を取った教え子へのささやかな褒美として、項垂れる頭をひとつ撫でてやる。
「……さあな。逢魔が時だ。狐にでも化かされたんじゃないのか?」
(…なに、悪戯狐の気紛れだ)
「そんなわけ…」
気付けば、辺りを染める朱色が一層色を濃くしていた。
まだ不服そうにしている〇〇の横を通り過ぎ、歩き出す。
天高くそびえる安土城の天主が落陽に照らされ、眩いほどに輝いているのが目に染みる。
「直に日が暮れる。小娘は家に帰る時間だ。……もたもたしていると、次は魔物に喰われるぞ」
「……あっ、待って下さい」
小走りで駆け寄ってきた〇〇が、遠慮がちに後をついてくる。
耳に届く足音に、歩幅を合わせて歩く。