第2章 狐の恩返し
私の声に足を止め、光秀さんがゆっくりと振り返る。
息も絶え絶えな私とは正反対に、極めて落ち着いた声で…
「どうした、何かに追われているのか?」
からかうような物言いにも反論する余裕もなく、私は性急に答えを求めた。
「はぁ、はぁ…これ……光秀さん、ですよね?」
「……はて、何のことやら」
「どうしてっ……直接渡してくれれば……」
「さっきから何をわけのわからないことを言っている」
私が気付くように仕向けたくせに…。
(……なんで、はぐらかすの?)
「わかってるんですから……光秀さんだって」
「何を根拠に?」
「……この香り。光秀さんが使っているお香ですよね?」
いま目の前に居る人と同じ香りがする帛紗を掲げてみせる。
「あの香は特段珍しいものでもない。何処でも容易に手に入るものだ。それだけでひとりの人物を特定するのは、少々浅はかだぞ」
それだけじゃない。
(あの男の子が持ってた風車…)
言いかけて口をつぐんだ。
これ以上問い詰めても、きっと光秀さんはどこまでもはぐらかすつもりだ。
諦めの言葉が口を吐く。
「……じゃあ、一体誰だって言うんですか…」
俯いてそう言う私の頭を ぽん とひとつ撫でながら、光秀さんが横を通りすぎていく。
「……さあな。逢魔が時だ。狐にでも化かされたんじゃないのか?」
「そんなわけ…」
そのまま私が走ってきた方向へと歩いて行く光秀さん。
「直に日が暮れる。小娘は家に帰る時間だ。……もたもたしていると、次は魔物に喰われるぞ」
「……あっ、待って下さい」
離れていく背中を追いかけ、斜めに伸びる光秀さんの長い影を踏んでしまわないように、少し後ろをついて歩く。
大きな背中をじっと見つめてみても、光秀さんがこんなことをする理由が分かる筈もなくて…。
だけど、嬉しいこの気持ちの理由は何となく分かっている。
でも、未だそれは朧気で、自分でも確信が持てない。
それでも、あの時胸に湧いた気持ちが、どうしても誤魔化せない。
だから───