第5章 真贋【*】
「…さっきのは何だ」
「何だとは何だ。あの二人に頼まれたから助けてやったのに、随分な物言いだな」
先程の態度とは打って変わって、いつものものへと変わる名無しの様子を横目で見る。
ミトに仕立ててもらった様で美しく着飾ってはいるが、中身は相変わらずあのまま。
儀式の間に居る間はミトの客人として粗相のない様、しとやかな女で通していた様だが、今はその緊張が解れ普段と同じ様な雰囲気に戻っていた。
「…?何だ?」
隣を歩いていた名無しが急に立ち止まった事を不思議に思い後ろを振り向けば、顔を上げ空を見上げていた。
自分も同じ様に見上げれば、夜空に浮かぶ満月が美しく輝いていた。
こうやって満月を気にして見たのは、本当に久しぶりだった。
昼夜問わず戦っている身にしてみれば、月を見て風情を感じる程暇では無い。
だが、今日は特別な日であり、こういう時だけは月をゆっくり見るのも悪くないなと思った。
「まるで兎だな」
いつの間にか視線は自分の方へと向いており、何とも返事の返しにくい様な事を言われた。
生まれて此の方、今まで色々な表現で比喩された事はあったが、兎と言われたのは初めてだった。
何も答えずにいたら名無しの手が伸び髪を触られた。
急に触れられた事に驚いたが、わざわざその手を振り解く様な事でもないし、そのまま好きにさせた。
途中「腕が疲れた。座れ」と命令口調で言われ、疲れたのならば触らなければいいだろうとは思ったが、仕方なくその場に腰を下ろす。
「…その瞳と髪色。同じ兄弟でも似ないものだな…」
自分の横に座りながらそう話す名無しからは酒の匂いが漂っており、瞳もいつもの様な鋭さはなかった。
名無しの性格上、酒を飲もうとも呑まれる様な事はないだろうし、むしろ、いつもと違う様子に少しだけ疑念を抱く。
真っ先に考えられるのは、何かを一服盛られた可能性。
こういった酒の席では良くある事で、特に未婚の若い女が狙われる。
恐らく、さっきまで一緒に飲んでいた男にでも何かしら薬を盛られたのだろう。