第16章 愛とは その三
自分の気持ちにはもう気付いているし、回りくどいのは性に合わない。
名無しが誰を愛そうとも関係ない。
そのまま腕を解き、埋めていた顔を上げて正面からその顔を見つめる。
久しぶりにこんなにも近くで見たなと思うと懐かしさが込み上げて来る。
瞳は少しだけ戸惑い気味に揺れていたが、それでも真っ直ぐこちらを見つめていた。
「ワシはお前が好きだ。だから、お前の全てが欲しい」
一度深く呼吸をし、そう一言分かり易く言った。
愛と言う感情とは不思議なもので、気付いてしまえば一瞬でその全てが愛おしく感じる。
その言葉に心底驚いた表情をしているその姿さえも。
突然の出来事に混乱しているのだろう。
薄く唇は開かれているが、そこからは声にならない様な音が漏れる。
動揺しているのか視線も揺れており、それが少しだけ面白かった。
自分の知っている「名無し」とは随分とかけ離れたその姿は自分の瞳にはとても新鮮に映った。
それでも少しして気持ちも落ち着いたのか、俯いたままだが小さな声で何かを話し始めた。
「…違う。術が解けて急に記憶が戻ったせいで、混乱してるだけ。きっと、すぐに治る」
俯いたままそう言う名無しの姿をじっと見つめる。
それでも俯いたまま頑なに視線は合わそうとしない。
名無しは自分の事を恨んではいないと言った。
しかし、イズナの仇うんぬんを抜きにしても自分達は千手とうちはであり、元々は敵同士だ。
自分を殺そうと思えば殺す機会はあった。
だが、名無しは自分を殺さなかった。
抱き締めた時も離れようと思えば出来た筈だし、右手の封印も解かれ嫌ならば力ででも抵抗出来る。
それなのに、そうしなかった。
好かれているかどうかは分からないが、嫌われてはいない自信はあった。