第1章 思ひせく胸のほむらはつれなくて涙をわかすものにざりける
「力んでいるのでは? 職人に緊張は不要でしょう?」
陽露華の返答に、葵は思わず立ち上がった。
「それおじさまの受け売りやん! 真面目に答えて!」
「それこそ心外です! 私は私の思った事を言ったまで!」
葵は簀子に膝を抱えて座った。
「そんな所に座っては、泥が付きますよ」
「しゃーしいわ! ほっといとくれ!」
むくれる葵をくしゃりと撫でた陽露華は、全ての紙袋を持って台所へ入り、淹れたての茶に取り替えて玄関に戻る。
まだ膝を抱えている葵に湯呑みを差し出すと、黙って受け取った。
「明日は、花魁道中らしいな」
葵がぽつりと言う。
「……そうですね」
相槌を打つ陽露華の声色はかたい。
葵はおもむろに振り向いて、正座で項垂れる陽露華を見上げる。
「禿も、歩くんだら? 見に行かん?」
他意はない誘いだったが、陽露華はその場を離れる事で拒否を示した。
「お茶、ごちそーさん。ほいじゃあの」
葵が向かいの茶屋に入っていくのを、陽露華は襖の陰から見送った。
(楊花……)
3年前、義妹と偶然見た花魁道中。
華やかで艶やかで、同じ世界の人間とは思えない美しさで、陽露華は一生手の届かないものだと思い込んだが、義妹は違った。
その自信はきっと、太古の唐土の歴史書に登場する絶世の美女・楊貴妃と同じ漢字を名に持つ事から来る、根拠の無い自信。
同じ漢字だから、同じ人になれるわけでも無い。
楊花は10歳の誕生日に、遊郭の門を叩いた。
以来、顔を見ていない。
「ひろや」
「……お父様」
玄関から湯呑みを回収した陽露華を、父は茶の間で出迎えた。
「飯にしよう」
「……はい」