第12章 まづまづしばらく日和を見るつもりだ
神殺し。
その名の通り、神を殺す行為を指す。
しかし、ここで言う神は人に化けて地上に降りていたものを指す。
神は人、時には動物や虫に化けて、地上の森羅万象を自身の目で確かめにくる。
空の上から見下ろしていても問題はないのだが、考えている事や感情を読み解く方法は直接会わねば理解できない。
今、この世界が欲しているものは何か。
与えなければならない厄災は何か。
越えさせなければならない試練は必要か。
神とて万能ではない。
八百万いる神々のそれぞれがそれぞれで、己の使命を全うする。
ある日突然起こった、神を超える厄災。
「黄金の草原」
万能ではない神々はそれを恐れた。
人間が心を奪われつつあるそれに関わっているのは、仏だった。
仏は元は人間だ。
ただの人間を、人間が敬い崇め奉り、神聖化された。いわば、人工物。
神は思想だ。
人間の祈り、思想、妄想が作り出した。いわば、概念。
仏は神ではない。神もまた仏ではない。
仏は平等を謳い、神は平和を謳う。
仏は犠牲を嫌い、神は平和のための犠牲は厭わない。
根本から違うのだ。
故に、神は人に殺められる。信仰心の断絶、思想の変化で、概念は容易く消え去る。
仏は死んだ人間の魂そのもの。殺められることはない。すでに死んでいるのだから。
神殺しはいわば、思想の弾圧。
人の形をした神は、ただの死体になる。
地上にいるならば有機物として残る。
その姿は異様で、然るべき者が然るべき所で処理しなければ、人間に世界の真理を知られてしまう。
道治の実家は、そう言う一族だ。
表向きは貿易商。本業は神の死体回収及び処理。
陽露華は道治の「仕事」を、幼い頃から見てきた。
他言してはならない世界の真相。
公任にとって、陽露華との出会いは、神が思わず「運命的」と言わざるを得ないものだった。