第3章 幻覚ヒーロー
「……これ、いい匂いだね」
『え、本当?よかった。結構甘い匂いだから、男の子は嫌かなって思ったんだけど…これね、保湿力もすごくあって!塗った後でもベタベタしないから、ずっと愛用してるんだ』
言いながら、爪の付け根にまで丁寧にクリームを塗り終えた彼女は、そっと俺の手を離した。
『こんなことくらいしかできなくてごめんね…本当にありがとう』
「いや…俺の方こそ。ありがとう」
いつか、アイドル好きのクラスメイトが握手会に行ったとかで「もう手を洗わない」なんて言っているのを聞いたとき「バカじゃないのかコイツ」と思ったことを全力で謝りたい気持ちになった。
『あ、よかったらこれ貰って』
そういって彼女は、ハンドクリームを差し出した。
「いや、悪いよ。それまだ新品でしょ」
『ううんいいの!ストックいっぱいあるし!もらって!』
そういって彼女は、両手でハンドクリームをぐい、と押しつけてきた。こんな可愛い顔で見上げられてしまっては、断る理由なんて地球上のどこを探したって見当たらないだろう。
「…じゃ、お言葉に甘えて」
そういえば、彼女は、嬉しそうに白い歯を出して笑った。
自分の顔が、熱くなっていくのがわかる。花が咲いたようなこの笑顔に、出会ったあの日も目を、いや、心を奪われたのだ。
「『ありがとう』」
偶然重なった言葉に笑い合ってから別れを告げ、先輩方の元へと戻れば。
「なんかスゲーいい匂いがするんだけど!」
「おい赤葦からいい女の匂いがする!!」
「お前なにしてきたんだよ!?」
騒ぎ倒す先輩達には「昨日買ったハンドクリーム塗っただけです」とごまかして。
彼女と同じ匂いのする手元にどきどきしながら、その日一日を過ごしたのは、言うまでもない。