第1章 またわざと罠にかかってしまった。
罠が密集する広間を抜けたところに宮殿の沈んだ水場が現れた。こういう変化に富んだ唐突な地形がダンジョンの面白いところだ。
底の見えない澄んだ水を湛えた泉を覗き混むと、遥か深いところに泳ぐ魚人の郡影が見えた。間近で見る魚人はあまりウツクシイものではないけれど、こうして見ると幻想的で悪くない。魚人は遠くから見るに限る。
「ここなら大丈夫だろ」
ふうとひと息吐いてチルチャックが私の手を放した。慎重に罠を避けながら私を誘導して来るのに気を張ったのだろう。
チルチャックは責任感が強い。そこがまた好きだ。
すぐ毒づく上に逃げ足も速いけれど、勝算のない仲間を見捨てるような真似はしない。増して怪我人を置き去りになんか、絶対にしない。私はそんなチルチャックの面倒見の良さやモラルを利用して自分の恋心を満たしている。
チクリと胸が痛んだ。
「早いとこその傷を何とかしろ。この状況で魔物が出たら洒落にならん」
石畳の上に腰を下ろし、チルチャックは注意深く周りを見回した。もう片方の皮手袋も外して、愛用のピッキングツールを床に広げる。器用な指先がツールを丁寧に手際よく点検する様はいくら見ても見飽きない。
口を半分開けて見守っていたら、ムッとした剣呑な目を向けられた。
「おい!間抜け面してないでさっさと回復魔法を使え!この階層はグズグズしてたら…」
刺のある言葉が吐き出されきる前に辺りが急にムワッと蒸し暑くなる。チルチャックはハッとして中腰を上げた。こっちを指差して逼迫した声を上げる。
「くそ、言わんこっちゃない!早く傷を治せ、バカ!」
慌てて呪文を唱えて逆手に握った杖の先を脇の傷に当てた。こうしている間にも蒸し暑さは増して、額にじわりと汗が浮き出す。
この階層は気温が不安定で、不意に亜熱帯の気候のように異様に蒸し暑くなることがあるのだ。
「暑いね」
へらっと笑って話しかけたら、チルチャックの目が吊り上がった。
「口聞いてる間に傷を治せ!暑くなるとお前…ッ」
そう。
暑くなると私はほぼ使い物にならなくなるのだ。極北の出身で寒さには強いのだけれど暑さには異常と言えるくらい弱い。
目に流れ込む滝のような汗のせいで視界が霞むが、傷は何とか治癒出来た。勿論チルチャックはこんなに汗をかいていない。他の北方の仲間だって私程ひどくへばりはしない。私がちょっとおかしいのだ。