第1章 【R18】仮初め《昌平君×李牧》
そして、ここまで昌平君を駆り立てた理由は、もう1つある。
きっかけは、ただの口づけに過ぎない。
しかし、唇を通して互いの体温を分け合った瞬間、この2人にしか分からない何かがシンクロしていた。
例えば、それは…
自分の裁量で国を動かす責任。
第一線で感じる他国からの侵攻の脅威。
常に不測の事態に備える緊張。
民の未来を握りしめている重圧。
兵の命を駒として扱う采配に隠された憂い。
時に厳しい判断を求められる過酷さ。
冷静さと的確さを失うことは許されない現実。
いついかなる時も止めてはいけない思考。
弱さも甘えも見せてはならぬという矜持。
中華に降り注ぐ数々の命題を抱える苦悩。
etc.
これらの難儀は、これまで、李牧と昌平君を孤独にさせてきた。
国の頂点を司る2人に、1つの個体として、内側にある感情すべてを曝け出せる場はどこにもない。
不完全さをひっくるめて、素顔の自分に還る機会は与えられていないのだ。
中華のどこを探しても、この2人の煩悩を受け止められる人物はいないであろう。
これまで独りきりで抱えてきた痛みが、この先も誰とも分かち合うことはないと思っていた痛みが、唇を通して共鳴した。
似た者同士の、傷の舐め合い…ということになるかもしれない。
だが、それも悪くない。
形はどうあれ、今宵、一つ同じ空間に、2人きりで居るという事実。
手を伸ばせば、相手の、あるいは己の、最も壊れやすく繊細な部分を、そっと包み込めるであろう。
李牧と昌平君は、ちょっとした運命の悪戯に酔いしれていた。
2人の思惑は、完全に一致している。
当事者以外に誰も知ることのない、熱くて切ない仮初めの一夜が、この時、始まりを告げた。