第1章 【R18】仮初め《昌平君×李牧》
「戦国の世に、裏切りは付き物です。
まして人の心は、脆く、移ろいゆくもの。
栄華や富や忠誠や、欲望、はたまた正義、etc.
背景は様々でしょうが、すべて自然の心理であって、仕方のないことです。
1人では成し得ない大きな何かに臨む時、このことを知っているのとそうでないのとは、状況が大きく異なります。
秦国王は、この原理を正しく理解した上で決断しているのでしょうか。」
一見すると、李牧の発言は、秦国王の身を案じているようにもとれる。
昌平君は眉を顰めた。
キレ者とキレ者の舌戦に、束の間の沈黙が訪れる。
いつの間にか降り出した雨の響きが、鼓動を刻むようにリズミカルな緊張感を作り出している。
重い空気を割って、李牧が口を開いた。
「言葉が見つかりませんか?
貴方は以前、秦国の人間ではなかったと聞いています。
秦国王が理解しているかどうかはさて置いて、少なくても貴方は、人が裏切る生き物であることを、知ってるはずです。
例え、有能な部下であっても、信頼を寄せる主であっても、共に戦い支え合う戦友であっても、人生を賭けるに足る王であっても、途中で仲違いし、目指す方向を失ってしまえば、人は簡単に袂を分けて寝返っていく。
今、この大義の全体像を司っている貴方は、誰よりも深く、これらの意味するところを感じているのではないですか?
昌平君!!」
李牧の勢いが止まらない。
中華統一という秦国が掲げる野望に対して、否定的な立場に思われた李牧が、「やるからには裏切るなよ」と釘を刺しているようにも取れる。
この時、昌平君は、返答の言葉を捻り出すのに、迷いが生じていた。
どう反応するべきか考えあぐねていた次の瞬間、ふいに昌平君の唇が塞がれた。
一瞬の出来事に、為す術なく呆気にとられる昌平君。
雨音がやけに大きく聞こえる。
にわかには信じがたいことだが、頭の回転が速い昌平君は、起きている事実を即座に理解した。
敵国の宰相が、突然訪れてきて、好き放題に言いたいことを言った挙句、唇を重ねてきたのだ。
男同士で、しかも趙国と秦国の命運を握る立場にある者同士。
つい数刻前に「そっちの趣味はない」と、堂々と宣言しておきながらの、この行動である。
聡明な昌平君でも、この時ばかりは、何が何だかよく分からず、李牧の真意を掴めないでいた。
