第1章 【R18】仮初め《昌平君×李牧》
ポーカーフェイスである昌平君は顔色こそ変えないが、内心は動揺と混乱で掻き乱された。
数秒すると、李牧は離れた。
「もし私が女性で、それなりに器量が良ければ、こんな単純なことでも、人の心は動くのかもしれませんね。」
突き刺すように真っ直ぐな目で見つめ、さらりと言う。
大きな瞳の中に、悲哀と羨望とを含ませている。
真っ直ぐだが、どこかに悲壮感も漂う、吸い込まれるように妖艶な視線だ。
李牧にしか出来ない、この美しい眼差しは、冷静な昌平君でさえも、ドキリとさせた。
この時の、李牧の心のうちは複雑だった。
何としてでも、どんな手段を使っても、秦国の暴走を食い止め、趙国を守りぬかなくてはという使命感が、主な要素といって間違いない。
責任感も、もちろんある。
何しろ、あれだけ大規模な合従軍戦を仕掛けて、失敗に終わらせている。
黒羊丘での勝敗も決した今、どうにか次の一手に賭けたい、焦燥感も然りだ。
だが、それだけではない。
単純に、昌平君を羨ましく思う自分が、心の奥底にいるのだ。
羨ましさだけなら、まだいい。
李牧の心情には、嫉妬心が入り混じっている。
戦場で出くわすことはなくても、中華の行く先を見据え、この男とはこれまでも、幾度となく盤面上での戦いを繰り広げてきた。
互いに相手の何手先まで読み、どちらが一枚上手なのか。
李牧にとって、昌平君は至上最高のライバルといって他ならない存在だ。
ただ、李牧と昌平君の実力が互角だとして、李牧の不運は、昌平君の方が、圧倒的に使える駒を持っている点である。
秦国には、有能な武将が多い。
将棋でいう、飛車や角行を、昌平君はいくつも持っている状況なのだ。
そして何より、秦国には、周囲の有力者たちが、“振り回されてでもついていこう”と思えるほど、人望ある国王が存在している。
秦国王の無謀な賭けは、側から見れば狂気そのものでしかないが、秦国の人間は一様に、若王の野心のため、命を賭して戦っているという現実がある。
敵国としては、厄介そのものだ。