第9章 File:9
ハイパーオーツが原料のコーヒーにそもそもカフェインは存在しない。それでも苦味が眠気を覚ますのは分かっている。
給湯室のオートサーバーにマグカップをセットするだけで注がれる黒い液体は旧時代にはもっと様々な種類が親しまれていたという。鎖国した今では本物はオークションぐらいでしか手に入らない。交互にもう一つ空のマグカップを置いて注ぐ。
ふと晩の事を思い出した。注ぎ終わったカップをぼんやりと眺めながら思い返すのは全く関係のないことばかり。
「そのニヤニヤいつまで続くんだ?」
横から迷惑そうな声がして現実に引き戻された。
見ると佐々山がマグカップを持って立ち尽くしている。どれくらい待たせただろう。
「なんだ佐々山。」
「なんだじゃねぇよ、昼間っからなんだその顔。」
「そんなに幸せそうに見えたか?」
「いやいや!自惚れ!自分で見てみろよ!」
端末で撮影までされていたらしい。現場のスキャンに使うものだからシャッター音は出ないので隠し撮りは簡単だ。見せられた画像の自分は幸福感が滲み出て見えるが、人から見られるのとは違うのだろうか。だが考えてみればコーヒーを眺めながら緩く微笑むのは不気味と言えばそうか。
「俺は分かるぞ狡噛。男がこんな顔するときはな、だいたいふしだらなこと妄想してるときだ。」
「お前と一緒にするな。」
言ったはものの正解だ。だからこそバレたくない。彼が知ったらいつまでネタにされるか分からない。
「なんだよ、教えろよ。まさかとお前…!」
なんでここでの名前が出たのかは分からない。佐々山の感の鋭さのせいか。マグカップを持つ手が一瞬震えてしまった。
「お前に関係ないだろ。」
両手に一つずつカップを持ち、給湯室を出ようとすると佐々山は自分のカップを置き去りにして着いてくる。
「なあ教えろよ〜!あの子なんだろ?お前に随分懐いてたもんな?」
「が、俺に?」
足を止めて佐々山を振り返った。相変わらずへらへらとふざけた顔をしているがこいつもかなりのキレ者。
「気づいてなかったのかよ!鈍感だな狡噛は…」
それには狡噛もムッとしていた。そこまで鈍感なつもりはないが昔から女心はよく分からなかった。