第9章 File:9
言葉も視線も行き場を失い、早くドアを開ければいいものをそれも名残惜しくてできずにいるとは狡噛の腰に手を回して抱きついてきた。
珍しい。明るい内にこんな姿が見れるとは思ってもいなかった。力なく抱きつく体を逆に力を込めて抱き締め返す。寝起きでボサボサになっている髪は手櫛でといてやるとすぐに綺麗になった。
「行ってらっしゃい、狡噛さん。」
狡噛は返事の代わりに彼女の頭を撫でて軽く触れるだけのキスをした。自分からやったことだがどうも照れくさくてすぐにドアを開けて家を出る。それでも胸の奥は心地良い熱で充満していた。
出勤すると早々に異様な雰囲気を感じ取った執行官たちが次々と声をかけてくる。
「おはようございます狡噛さん。なんかご機嫌ですね?」
「おはよう、天利。花表も。昨日はありがとう。」
「いえいえ!で、どうでしたあのレストラン!!」
「あぁ、美味かったぞ。も喜んでた。」
「良かった〜!翼ちゃんオススメのレストランだったんですよ、私も食べたかったな〜。」
花表の小説家時代に行ったレストランだったらしい。関係者にコネがあるとかないとか。
「狡噛さん早退の分俺たちの報告書溜まってるんですからね!」
昏田は嫌味ぽくデスクを指して言った。確かに皆の好意とはいえ仕事を増やしたのは事実。
「悪かった、埋め合わせはするよ。」
宥めるように微笑む監視官にやりきれなくなり昏田は自分の席について天利と花表の話に混ざっていった。
その後、征陸とともにきた和久にも昨日の礼を伝えて通常業務に戻る。大きな新しい事件はなく、調査報告書だったり提出期限ギリギリのものをチェックした。
纏まりのないものはいつもなら本人に戻すが今日は代わりに修正する。狡噛にとっては大した量ではなかったが気が抜けているのか欠伸が出た。睡眠時間を削り過ぎたか。コーヒーが必要だ。
「和久さん、コーヒー入りますか?」
「結構、まだあるから大丈夫です。ありがとう。」
「とっつぁんは?」
「監視官殿に持ってきてもらう訳にいかねぇだろ。」
「いいって、ついでだ。」
彼は部下とはいえ人生の先輩で尊敬に値する人物だ。差別する訳ではないが他の執行官とも違う根っからの刑事である。それに他のやつらはコーヒーをあまり飲まないのを狡噛は知っていた。