第9章 File:9
端末のアラームが鳴っているのが遠くから聞こえた。物理的な距離ではなくて意識の問題だということには程なく気付く。喧しく鳴り響くそれを止めると狡噛は再度枕に顔を突っ伏した。ふと隣を見るとそちらはまだ夢の中だ。穏やかな寝顔を視界いっぱいに入れて堪能し、起こさないようにベッドから出た。掛布の外は冷たい空気で覆われている。裸のまま寝ていたのを忘れていた。肩を震わせながらベッド脇に捨て置かれたTシャツを着るがそれも冷たくて益々震える。上下を部屋着に着替えてリビングに出るとモズが朝の挨拶と共に宙返りしながら現れた。
《さんはまだ寝てますか?》
「ああ、よく眠っているから起こさないでくれ。」
狡噛は朝の準備にかかった。出勤する日のルーティンは変わらない。シャワーを浴びて、オートサーバーで朝食を用意し、ニュースを見ながらそれを食べる。だが今日はニュースの内容が頭に入ってこない。そういえば昨日もそうだったか。近況は頭に入れておきたいのだが腕に抱いた彼女のことがふわりと過ぎってしまう。思い出しては満腹になったような幸福感で満たされる。それもそうだ、おかげで今朝の色相はかなりクリアだった。ぼんやりしているともう直ぐ出なければならない時間だった。
食事を片付け、歯を磨き、スーツに着替えに行く。寝室に入るとが眠そうに体を起こした。
「おはようさん。」
「…おはようございます。」
目を擦ってその場に固まるの意識は夢と現実の堺なのだろう。それも無理に呼び戻そうとも思わなかった。
「俺はもう行くぞ。朝飯ちゃんと食えよ。」
「…はい。」
どうにか返事するをおいて部屋を出ると最後に洗面所の大きな鏡で髪や襟を整えた。
洗面所を出て忙しなく玄関へ向かえば、とぼとぼと寝ぼけ眼が見送りにやってきた。珍しい、前はしなかったのに。前とは違う間柄になれたということか。靴を履いてから向きを変えて彼女に向かい合う。
「行ってくる。」
は何も言わずに狡噛のネクタイに手をかけた。向きを調節している。
「ちょっと曲がってました。もう大丈夫。」
その些細な事に幸せを感じてつい笑ってしまう。
「なんだか夫婦みたいだな。」
「そうですか?」
「なんとなくな。」
「……。」
イメージの共有がうまくいかず、ただ気恥ずかしい。