第8章 追憶の炎、消えぬ黄昏
呉服屋の軒先へ出ていくと、霧雨が宙を舞っていた。
暖簾を手で避け隙間から空を見上げる。分厚い雨雲が着々と青天井を覆い尽くそうとしているのが見え、せめて落雷は起こりませんようにと願う。
「星乃ちゃん、傘はお持ち?」
背後で引き戸の開かれる音がして、店の中から呉服屋の女将が顔を覗かせた。
「いえ。お天気が崩れるとは思っていなくて」
「朝はよう晴れていたものねえ。良かったらこれ、差しておゆきなさいな」
心持ちふくよかな手が、星乃に和傘を差し出した。女将の年齢は父の林道と同じくらいに見受けられるが、肌はとてもキメ細やかでもっちりしていそうな手をしている。
「お気遣いありがとうございます。でも本降りになる前には家に帰れそうですし、大丈夫です」
「あらいけませんよ。近頃は大層冷え込む日もあるし、雨に濡れて寝込んでもしたらえらいことです。戻しに来られるんはどんな時でも結構ですから、ね? 遠慮せず持っていって」
「···そう、ですか? それじゃあ、お言葉に甘えて」
礼を言い、女将の手から受け取った傘の柄は真っ直ぐで細く、籐 (とう) が巻かれいた。
「蛇の目傘ですね。素敵な色」
「ええ、軽いでしょう? これは模様がないけれど、柄の種類もまだまだ豊富にあるんです。うちの店にも幾つか並べてみようと思うてね。星乃ちゃん、次来たときはぜひ良し悪しをお聞かせ頂戴」
「ふふ、女将さんたら相変わらず商売上手」
「けれどせっかく来てくれたのにお役に立てずごめんなさいねえ」
「いえ、私もはっきり決められなくて」
「良い贈り物の品が見つかるといいのだけれど」
傘を開くと、鮮やかな緋色が頭上を彩る。
霜月。十一月二十九日の実弥の誕辰に向けなにか良い贈り物はないものかと、星乃は早朝から町へ出てきていた。
辰の初刻 (朝七時頃) には家を出発したというのに、結局これという品は決まらず日中になってしまった。
馴染みの呉服屋にも立ち寄り実弥が身につけてくれそうな物を物色してはみたものの、やはり思い至るまでにはいかず、こうして突然の雨に降られたこともあり、空を見上げた星乃の唇からははぁ、と小さなため息が漏れた。